2024年2月18日(日)

 

『明智城』→『上恵土城』→『羽崎城』 その1 の続きです。

 

二城目は上恵土城です。

 

上恵土城は築城年代は定かではありませんが、天正10年(1582)頃の城主長谷川五郎右衛門は大森城主奥村又八郎と謀って、金山城主森長可を攻め滅ぼそうとしますが、逆にその謀議の報告を受けた長可に攻められ、落城したと伝えられています。

 

土塁と空堀

 

城址周辺は削平されていて住宅と畑になっている。土塁らしき場所はあるが、一部すぎて城の全容がわからない。 

 

最後は羽崎城です。

 

羽崎城は、守護土岐氏一族の土岐三河守悪五郎の三男の羽崎三郎光直が居城としたといわれています。
天文年間には、守護土岐氏と斎藤道三方が戦った羽崎口の戦いが起こった場と考えられます。
天正11(1583)年頃に廃城となったとされています。

 

登城口(当時の虎口ではないと推測する)

 

 

石積(後世に積んだものと推測する)

 

削平された平坦地(曲輪の形態になったいないので後世の耕作地と推測する)

 

南側の切岸?(民家宅造のため削った可能性あり)

 

縄張り図がないので何とも言えないが、城址には削平された段々の石積があるが、曲輪というより後世に築いた耕作地だと思われる。