2024年2月18日(日)

 

今回も可児市の山城の攻城3弾目です。

 

まずは明智城です。

 

明智城は明智光秀が生まれた城として知られています(諸説あり)。光秀は11歳で城主となり、斎藤義龍に攻められ落城するまでの30年近くをこの城で過ごしていたと考えられています。

 

大手曲輪の切岸

 

大手曲輪

 

大手曲輪からの眺望

 

大手口(冠木門があったが撤去されていた)

 

東側尾根の曲輪群

 

東出丸

 

東出丸の虎口?(後世に切土した感じが残る)

 

中の丸の切岸(石積み?の跡が残る)

 

中の丸

 

搦手口

 

乾曲輪の切岸(石垣に見えるが土塊です)

 

乾曲輪と搦手曲輪を隔てる堀切(切通し)

 

搦手曲輪

 

搦手曲輪から切通しを見下げる(敵を挟撃できる)

 

乾曲輪の折坂虎口

 

乾曲輪の竪堀

 

乾曲輪

 

乾曲輪の物見台

 

物見台からの眺望(樹木が邪魔でよく見えない)

 

台所曲輪群

 

台所曲輪の切岸

 

水の手(今も水が染み出ている)

 

西出丸

 

西出丸からの眺望

 

二の丸

 

七ッ塚(7つの塚の跡がある)

 

馬場(ここで馬の調教をしていたのだろうか?)

 

馬防柵

 

本丸

 

明智光秀像(建てたくなる気持ちはわかるが自分としてはない方が良い)

 

本丸からの眺望

 

美濃金山城も見渡せる

 

縄張りはほぼ残っていて、点在する曲輪からは周囲を見渡せることができる。

しかし、山の尾根に曲輪が点在しているが、織豊期の防御施設はなく中世の古い防御施設しか見当たらなかった。 

城の規模はそこそこ大きいが防御能力は高いとは思えなかった。

 

その2につづく