2024年1月28日(日)
『千村陣屋』→『久々利城』→『本陣山城』→『権現山城』 その1 の続きです。
三城目は本陣山城です。
本陣山城は
築城年代は定かではないが天文年間(1532年~1555年)に小栗信濃守によって築かれたと云われる。
小栗信濃守がそれまでの居城権現山城から本陣山城を築いて居城を移した。天文21年(1552年)小栗信濃守は土岐郡の高山城を攻めたが敗り、逆に小里氏や遠山氏によって攻められ御嶽城は落城、信濃守は自刃して果てたという。
登城道(階段が続く高低差が結構ある)
三ノ丸?から見上げる本丸
本丸西側の腰曲輪?
本丸の切岸と犬走り
本丸(公園整備がされていて形状が変わっている可能性が高い)
本丸から見下げる
物見曲輪(現在は展望台になっている)
物見曲輪からの眺望
遠くに美濃金山城も見える
公園整備がされていて曲輪の大きさが変わっていて、案内板に展示されている縄張り図と整合性が合わなかった。
しかし高低差があり眺望が良い。
最後に権現山城です。
権現山城は本陣山城と共に御嵩城と呼ばれている。築城年代は不詳ですが、小栗信濃守という武将の居城だったといわれています。
小栗信濃守は城の守りを強固にするため、権現山より見晴らしがよく、防御に有利な西方の本陣山に、城を新しく築き移動しました。
出丸切岸(高さが約5.5mある)
出丸東側畝状竪堀(4条確認できる)
出丸折坂虎口
出丸土塁
出丸
出丸西側帯曲輪群
帯曲輪群北側の堀切
本丸南側曲輪土塁
本陣山城曲輪
本丸南側曲輪北側の堀切
本丸南側曲輪北側の堀切につながっている竪堀
この堀切を見て本丸の方に歩いていくと、上の方から殺気が・・・
すると一頭のニホンカモシカがこちらを見ているではありませんか。
しばらく睨み合っていると、もう一頭現れたではありませんか。
刺激しないよう睨み合いながら、ゆっくり後退してその場を去った。
本丸西側腰曲輪の土塁
本丸西側腰曲輪
本丸北側腰曲輪
本丸西側腰曲輪
本丸西側腰曲輪と西側の曲輪を隔てる堀切
本丸西側の出丸の東側の堀切
本丸西側の出丸
西側の帯曲輪群
本丸南側の切岸(高さ約10.5mある)
本丸南側の喰い違い虎口
本丸
金峰神社
ぬた場(ニホンカモシカだけではなく、ほかにも獣がいるのか・・・)
権現山城と本陣山城の距離感(すぐ隣にある)
城郭は金峰ふれあいの森になっているが、縄張りはほぼ残っているが案内看板がなく事前に縄張り図を入手してから攻城するのをお薦めする。
遺構も良い状態で残っていて整備もそこそこされているので攻城していて楽しかった。