2022年12月25日(日)
今回は「センゴク 一統記」10巻に出てくる「峯城」の攻城です。
まずは古城城です。
古城城の詳細は定かではありません。文献に登場しない城で、現地では「古城(ふるしろ)」と呼ばれていることから便宜的に「古城城」とされています。1582年(天正10年)とその翌年に羽柴秀吉が伊勢攻めをおこなった際、峯城を攻略するための拠点として改修されたと推定されています(逆に峯城方の支城という説もあり)
峯城との距離感を感じるためにも峯城近くの柴崎公民館から歩いて攻城です。
主郭北側の畝状の横堀(三重)
北から一重目
二重目
三重目
主郭北側のすり鉢状の堀
地形的に周りより低く、敵を追い込んで殲滅する場所と推測する。
主郭西側の横堀
伐採した竹で埋められていてわかりにくい。
主郭北側切岸(高さ約4.5m)
主郭南側の切岸
主郭虎口
主郭土塁
主郭(整備されていない)
古城城から見た峯城(八島川を挟んで目と鼻の先にある)
整備されていないが、縄張りは良く残っている。北側にある畝状の横堀(三重)とすり鉢状の堀が見所です。
峯城の付城か、支城か、説が分かれているが、今の縄張りを見ると北側に三重の横堀があるなど北側の備えのが強く感じるが南側は八島川があり切岸も高く、どちらにも対応できここを落とされると峯城は厳しい状態になると推測する。
次に峯城の西側にある落山城へ歩いて向かった。
落山城の詳細は不明ですが、峯城の支城とも、あるいは1584年(天正12年)に峯城を攻撃するために羽柴秀吉の軍勢が築いた付城とも考えられています。
横堀?
土塁?
曲輪?(削平されている)
縄張り図がないので断定できないが、横堀や土塁や削平された曲輪のような場所がある。
しかし、隣接する亀山梱包センターに遺構を削り取られているように感じる。
その2につづく