2021年12月12日(日)
『荻城』→『深溝城』→『上ノ郷城』 その1の続きです。
最後は上ノ郷城です。
その前に蒲郡市博物館で勉強です。
蒲郡市の歴史を学ぶことができ、上ノ郷城の資料もあります。入場は無料です。
上ノ郷城のパンフレットが置いてあり縄張り図も入手できます。
上ノ郷城は鵜殿氏の居城として知られています。城主・鵜殿長持は今川義元の妹を妻に迎えました。「桶狭間の戦い」で義元が敗死すると、周囲の勢力は今川氏を離反しましたが長持の子、鵜殿長照は今川氏方として残っています。その後、1562年(永禄5年)には徳川家康が三河を支配するために攻め寄せましたが、なかなか落ちなかったため、家康は甲賀衆を城内に潜入させ火を放って攻め落としたといわれています。徳川領となってからは家康の母、お大が再嫁した久松定俊(俊勝)が入城し、家康の関東移封後は池田輝政の城となりました。
熊ヶ池(堀の一部と言われている)
城の西側の堀と小土塁(当時は熊ヶ池につながっていたと思われる)
城の東側には兼京川が流れている(外堀の役割を果たしていたのだろう)
主郭下の南西側の大土塁
主郭と大土塁の間の空堀(敷地が広く曲輪の可能性もある)
東郭
東郭下にある水堀(現在も湿っているので、当時は水が溜まっていたのだろう)
北郭
主郭(周囲には土塁がないが、結構敷地が広い)
主郭からの眺望(蒲郡の街が望める)
大部分がミカン畑になっているが、ほぼ残っている。なかでも南側の大土塁は見応えがある。また、ミカン畑の段々が曲輪のように見えてくる。