2020年3月21日(土)
 
川尻城から南に歩いて20分ぐらいで古宮城に着く。
 
古宮城は武田信玄が三河侵攻の拠点として、家臣の馬場信春に築かせた城です。城将として小幡又兵衛、甘利左右衛門、大熊備前守らが駐屯しました。「長篠の戦い」に先立つ1573年(天正元年)、奥平貞能・貞昌父子は武田氏を離反して徳川氏に帰属し、その際に古宮城は徳川・奥平氏によって攻められ落城しています。
 
大手虎口
 
大手虎口北側の曲輪
 
西郭の横堀と土塁
 
西の曲輪(丸馬出し)の切岸
高さが約10mある。
 
西の曲輪を下から見上げる。土塁が幾重にも連なっているのがわかる。
 
西の曲輪(丸馬出し)
 
西郭と東郭の隔てる堀切(竪堀)
 
東郭の竪土塁
 
東郭の横堀と土塁
 
東郭の井戸
 
東郭東側の竪堀
 
動物の穴が・・・なんだろう?
 
両袖桝形虎口(武田流城郭)
 
東の曲輪(主郭)
 
一城別郭式の縄張りとなっているが、別々の独立した城ではなく、むしろ連郭式に近いと思う。当時は周囲が湿地か深田になっていて東側からは攻め難く、西側からの侵攻を想定して西の曲輪は丸馬出しの機能を備えた形状になっているからです。また、西側の山の上には塞之神城が配置してあり西側からの侵攻も容易ではない。自分なら甘泉寺に本陣を置き、そこから湿地帯を埋めながら東側から侵攻するだろう。
 
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次は石橋城です。
 
その3につづく