2020年3月15日(日)
 
今回は新型コロナウイルスのこともあり、近場のマイナーな城を攻城することにした。
 
まずは安城古城です。
 
安城古城は畠山国清の二男である宗基を祖とする和田氏5代の居城でした。1438年(永享10年)に起きた「永享の乱」のあと、和田親平が安祥城を築いて居城を移すと廃城になったとされています。1540年(天文9年)に織田氏の軍勢が安祥城を攻めた際に松平氏が兵を入れて前線基地にしたという説もあります。
 
土塁?
 
土塁の上に社が建っている
周りは宅地造成されていて面影はほぼない。
社のある場所は土塁なのか宅地造成で削り残ったのか判断しかねるが、小高い場所にあり当時は安祥城を望めたのであろう。 
 
次は山崎城に行った。
 
山崎城は松平清康の弟である松平信孝が城主をつとめた城です。信孝は清康が「守山崩れ」で暗殺されると、幼少で家督を継いだ広忠の後見人をつとめていましたが、次第に専横しはじめたために所領を没収され、それを恨んで織田信秀に仕えました。信秀は広忠の居城である岡崎城に対抗するためにこの城を築いて守らせました。しかし信孝は1548年(天文17年)に単独で岡崎城を攻めて討死すると、翌年には今川・松平連合軍に攻められ落城、そのまま廃城になりました。「小牧・長久手の戦い」の際に徳川家康によって改修、利用されたという説もあります。
 
空堀と土塁(城の規模の割には堀の幅が広く土塁が高い)
 
隅櫓があったとされる櫓台
 
主郭(現在は神明社)
 
川に挟まれ少し高い場所にあり、周りの見通しが良かったと思われる。見所は大きな堀と隣接した土塁です。
 
その2につづく