2020年2月2日(日)

 

『武節城』→『武節古城』→『寺脇城』 その2のつづきです。

 

最後は寺脇城です。

 

寺脇城は奥平喜八郎信光(のちの戸田加賀守信光)の居城として知られています。名倉奥平氏の本拠地でした。名倉奥平氏は作手奥平氏の奥平貞次を祖とし、信光は2代目にあたります。信光は徳川家康の配下として武田勝頼と戦い、「関ケ原の戦い」後には家康の四男、松平忠吉に従って清洲城に移りました。

 

大手口(害獣除けのフェンスがありますが施錠されていないので入れます。開けたら閉めましょう!)

 

桝形虎口

 

大空堀(ここを通って侵入すると両側の曲輪から挟撃されます)

 

横堀

 

本曲輪虎口(喰違い虎口)

 

本曲輪土塁(高さ約4m)

 

本曲輪

 

寺脇城は縄張りはしっかり残っていて、見所は本曲輪背後の大土塁です。

また、北側の端には「浜城」登り口の標柱が建っています。

 

近くにあると思って、登って行ったのだが歩き進んでも案内看板らしきものがない。

城の形跡らしき場所もない。諦めるか・・・・

そうこうしているうちに道もなくなってしまった・・・・断念するか・・・・

迷うといけないので、ここでスマートフォンアプリの「YAMAP」を開き位置を確認。

国土地理院の地図を見ながら自分だったら、ここに城を築くだろうという場所まで登ることにした。

そこは標高881.8mの三角点だ。

息もからがらようやく山頂が見えて来た。うっ・・・ん・・・・

削平された場所がある。ここが城か・・・?

 

すると簡易の標識が・・・・

 

竪堀

 

二重の堀切

 

主郭(標高881.8mの三角点)

 

結局、予想通りの場所にあった。

しかし、道中もっと案内看板や道を整備しないと迷う人が出てしまう気がする。

とはいえ、普通の人は登らないよなぁ・・・

登り口の標柱から山頂まで片道約1㎞あります。

 

浜城は小さいながらも遺構がしっかり残っていて、一見の価値はあります。