2019年4月22日(月)
 
『和歌山城』→『雑賀城』→『弥勒寺山城』 その2の続きです。

次は「センゴク 天正記」7巻に出てくる「雑賀城」です。

雑賀城は雑賀孫一(鈴木重秀)の父、鈴木佐大夫重意によって築かれた城です。佐大夫は雑賀党の頭目を務め、本願寺顕如に与して織田信長と石山合戦で戦いました。その後、1585年(天正13年)に豊臣秀吉が6万の大軍で紀伊に侵攻、いわゆる「紀州征伐」で落城しました。1585年(天正13年)に和歌山城が築城される頃に廃城となったと思われます。

妙見堂(丘陵の一番高い場所に建っている)
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千畳敷と呼ばれているが、千畳もなく普通の尾根に見える。
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西側の折り坂虎口
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城を形成する岩盤
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消防の望楼(今は使っていない)
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現代の石積み塀
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南北を縦断するように築かれているが、目地材にモルタルが使われているのをみると現代の物と思われる。
地権者の境界があるのだろう。

井戸?
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城址には案内看板等がなく縄張りもよくわからないが、現在の登城口は6ヶ所(1ヶ所は途中で崩れている)あり、山全体が岩盤で形成されていて、所々断崖絶壁になっていて、鉄砲で守るにはちょうどいい高さで、急勾配になっいる。
推測するに城址自体は複数の地権者がいて、公でなく民間の所有者なので、案内看板等がないのであろう。残念だ。

その4につづく