2019年1月30日(水)

『飯羽間城』→『岩村城』→『阿木城』 その3の続きです。

最後は阿木城です。

阿木城は戦国時代、遠山氏が岩村城防衛のために築いた遠山十八支城のひとつです。武田信玄の家臣・秋山信友に落とされた後は織田・遠山方の最前線基地として整備されましたが、1574年(天正2年)に武田勝頼の攻撃によって陥落し、そのまま廃城となりました。
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虎口
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西側の堀切
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西側帯曲輪の土塁(崩壊していて、高さが約50㎝しかない)
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東側の堀切(深さ約6mあり深くて大きい)
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東側の竪堀(堀切と繋がっている)
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本曲輪の切岸
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法面勾配は約50°(8分5厘勾配)、結構急だ。経年崩壊してもおかしくない勾配だが、よく現状を維持している。

本曲輪の北側の折坂虎口
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本曲輪(城全体の面積に比べて、かなり広い)
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城自体は小規模で単純なものだが、縄張りがしっかり残っている。且つ、整備がされていて、遺構が分かりやすくとても良い。