2017年4月29日(土)

『井平城』→『柿本城』→『白倉城』 その1 の続きです。

次は柿本城です。

柿本城は井伊氏の支城で、井伊谷三人衆のひとりである鈴木重時によって築かれた城です。重時の父、鈴木長門守重勝は井伊直親の母方の祖父にあたります。1572年(元亀3年)に武田信玄の軍勢によって攻められ落城しました。

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本丸
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本丸周辺の石垣
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本丸周辺の切岸
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切岸の法面勾配は8分(約50°)だった。当時はもっと勾配がきつかったのだろう。

樹木が間伐されていて、縄張りの外観がよくわかる。また丸太柵が雰囲気を良くしている。大河ドラマの力は認知度の低い城も整備してしまうのだから・・・すごい。

最後に白倉城です。

白倉城は足助鈴木氏の流れをくむ鈴木氏の本城で、井伊直盛に仕えていた鈴木長門守重勝によって築かれました。重勝の息子、鈴木重時が城主のときに柿本城を築いて居城を移しています。

携帯は圏外だし、通行人もいないし、登り口が分からず30分以上さまよって、ようやく登城口の標柱が倒れているのを発見した。
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本丸?
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土塁
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虎口
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石垣(近代の物のようだ)
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縄張り図がないので、なんとも言えないが中世の山城の腰曲輪群には見えなかった。
曲輪というより作物を育てる段々畑のように見えてしまう・・・