2017年1月6日(金)
『駿府城』→『田中城』 その1 の続きです。
次に帰宅途中に田中城に行きました。
田中城は徳川家康の死因ともいわれる鯛の天ぷらを食した城です。かつては今川氏と武田氏とが奪い合った城で、山県昌景が城主を務めたこともあります。この城の特徴はなんといっても縄張で、本丸を中心に、直径約600mの同心円を描く全国的にも珍しい円形輪郭式の縄張となっています。
縄張り図

縄張り模型

ピザみたい・・・・・。
三の堀、土塁



土塁の法面勾配は1割2分(約40°)だった。結構、高さもあって立派なんだけど、ほんの一部しか残っていないのが残念です。
三の堀

二の堀

三日月堀

ほとんど埋まっていて、案内看板がなければ通り過ぎてしまいそう・・・。
冠木門と本丸櫓(移築)

旭傳院の山門(田中城にあった門の移築)

駐車場の案内看板

図のように歩いて探索したら2時間掛かった。
約55年前ぐらいまでは遺構がたくさん残っていたみたいだけど、今では市街化が進み遺構はわずかに点在するのみです。その遺構も街と調和が取れてなく残念です。
悲しいことに現在の道路が、当時の縄張りを一番思い起こさせる状況です。