2017年1月5日(木)

『横須賀城』→『高天神城』→『相良城』その1の続きです。

次に横須賀城関連で高天神城に行きました。

高天神城は今川氏によって築かれ、のちに武田家と徳川家によって激しい争奪戦が繰り広げられた「一城別郭」の城です。三方が断崖絶壁、一方が尾根続きという天然の要害であり、「高天神を制するものは遠州を制する」といわれた要衝です。

縄張り図
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追手口(大手口)
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搦手口
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今では搦手の方が整備されて道が広くなりすぎて、大手口のようになっていて残念です。

御前曲輪(模擬天守台)
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戦前に模擬天守は落雷で焼失したそうですが、時代背景と関係ない構造物は極力なくしてほしいものだ。

本丸跡
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堀切
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空堀
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縄張りはしっかり残っていて、各所に見られる堀切はきれいに残っています。
城の隅から隅まで探索したら2時間程かかりました。山城の攻城は冬場の方が、虫や蛇が出ないし、広葉樹は落葉していて縄張りの輪郭が見やすいです。

最後に時間がなくなってきたので、相良城に行きました。

相良城は老中・田沼意次によって築かれた城です。将軍・徳川家治のもとで老中として権勢をふるった意次は、3重の天守など6基の櫓を築きましたが、失脚後に代わって老中となった松平定信の命によって徹底的に破壊されています。

まずは牧之原市史料館で勉強です。
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本丸跡
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土塁
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仙台河岸
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ほとんど遺構はないが、牧之原市史料館(有料)に行くと現存遺構の場所を教えてくれます。
中でも仙台河岸の切込はぎの石垣は知らなければ、現代に施工した石組み擁壁と思い通り過ぎてしまうほど、歴史観が感じられなかった。