2016年12月21日(水)
 
今回は紅葉で有名な香嵐渓周辺の攻城です。シーズンオフのためほとんど観光客はいませんでした。

まずは足助城です。

足助城は三河鈴木氏の諸家である足助鈴木氏の居城として知られています。松平氏に属しており、1590年(天正18年)の家康の関東入国に従って関東に移ったため、廃城となりました。

縄張り図
イメージ 1
 
縄張り模型
イメージ 2
 
入城するとすぐに法面保護がしてある土塁が見えてくる
イメージ 3
 
保護していない法面を計測すると9分勾配(約48°)だった。1割勾配(45°)を超えるような法面勾配は長期的には自立するのはやはり難しいようだ。
法面保護の方法もコンクリートで行うのではなく、景観を極力壊さないような工法がとられていてセンスがいい。
イメージ 4
 
西物見台
イメージ 5
 
南物見台
イメージ 6
 
本丸高櫓
イメージ 7
 
高櫓の横に違和感のある構造物がある。これはNHKの鉄塔だそうです。足助城を復元する前からあり、移設するには4000万円掛かるので断念したそうです。(受付のおっちゃん談)
自分が見るからには違和感があるが、山の頂上で木造建築なので落雷による火災を防ぐための避雷針の役割を果たす構造にもなっていた。
 
城全体がセンスのいい復元がなされており、戦国時代のロケができそうな雰囲気でした。

次に飯盛城です。位置関係を知るためにも足助城から歩いて飯盛城を攻城した。

飯盛山城は足助七城のひとつで、足助重秀によって築かれました。尾張、三河と信濃を結ぶ交通の要衝にあたり、足助氏の本城でした。その後も足助鈴木氏の持城として続き、1590年(天正18年)に廃城になっています。

主郭(丘の上)
イメージ 8
 
腰曲輪郡
イメージ 9
 
鈴木氏5代の墓
イメージ 10
 
足助城(真弓山城)から観た飯盛城
イメージ 11
 
今は香嵐渓の紅葉で有名な飯盛山ですが、3方が河川で囲まれていて、山の所々に曲輪や竪掘が観ることができ、山全体が城だったことがわかる。

真弓山の頂上から飯盛山の頂上まで歩いて登り、また真弓山に歩いて帰ったら、運動不足のおっちゃんは、膝はガクガク、足はパンパンになってしまった。