2016年4月10日(日)
今回は織田家及び家臣の関係した城の攻城です(その1)。
まずは蜂須賀城です。
蜂須賀城は蜂須賀小六の名で知られる蜂須賀正勝が生まれた城です。蜂須賀氏は織田信秀によって蜂須賀城を追われ、以後は宮後城を居城とします。正勝が木下秀吉に協力して墨俣城の築城に一役買うなど、秀吉の参謀役として出世していくのは、宮後城に移ってからのことです。


外周状況

空堀

縄張り図がないので、はっきりはしないが蓮華寺の奥には堀らしき溝があり曲輪のようになっている。また、周囲の地形より高台になっており城があったことをうかがわせる。
次は勝幡城です。
勝幡城は織田信長が生まれた城として考えられる城のひとつです。築城したのは信長の祖父にあたる織田信定です。
城推定模型

スマホを持っていないおっさんは、また城を探すのに迷子になるといけないので、駅から案内標示が道路に埋め込んであるのでそれを頼りに行軍した。

石碑


今も河川や水路が入り組んでいて、当時は推定模型のような城だったのであろう。
3箇所目は蟹江城です。
蟹江城は滝川一益の居城として知られています。織田信長の北伊勢進攻、長島一向一揆鎮圧の拠点となりました。「賤ヶ岳の戦い」では一益は羽柴秀吉に敗れたため、この城を追われます。翌年の「小牧・長久手の戦い」における蟹江城合戦(蟹江合戦)では、秀吉方となった一益が蟹江城の奪還に成功しましたが、徳川家康・織田信雄の大軍に包囲され、篭城戦の末、半月後に落城しました。
蟹江城近くの産業文化会館には蟹江城に関係ある資料が少し展示してありました。

石碑


本丸井戸跡

住宅地の中にあり、城があったのかわからないが、地形的には周囲に河川や水路があり当時は城があったことをうかがわせる。
(その2)につづく