かつて日本人は、「かなし」を、「悲し」とだけでなく、「愛し」あるいは「美し」とすら書いて「かなし」と読んだ。悲しみにはいつも、愛しむ心が生きていて、そこには美としか呼ぶことができない何かが宿っている。人生には悲しみを通じてしか開かない扉がある。悲しむ者は、新しい生の幕開けに立ち会っているのかもしれない。


友人に誕生日プレゼントで戴いた一冊。とても美しい文章ながら、わたしにとっては少しむずかしくて。なかなか読み進めないでいました。でもわたしに選んでくれたということは何かしらメッセージがあるんだろうなと。
終盤に差し掛かった一章、作者の身近におこった出来事が急に描かれている。そこまでの誰かを励ましているようでなんだかこちらに向かっていない文章の謎がいっきにとけた。
自分と対話していたのだな。こんな表現方法もあるのね。

励ますことで、自分の心の引っ掛かりが和らぐことってある。例えばわたしの場合、ダンスを教えている生徒たちと話す時間がそうかもしれない。高校生や専門学生の多感な年頃のみんなより少しばかり長く生きてきたものとして思うことを伝える。かくいうわたしも今だって考えたり落ち込んだり日々しちゃう。正解なんてわからない。自分の先生や親たちもそうだったのかな。

強く儚く美しい言葉を味わい心潤いました。
この季節にぴったりだから、読むのサボってて良かったな。

追伸:
ベッドの下と押入れに本をしまってる。
本棚への憧れが日々強くなる。
そしてわたしは働く。