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ヒーラーゆりーです

 

 

世界遺産 高野山 へ

 

 

 

 

高野山の歴史

 

 

弘法大師空海は二十歳で出家

三十一歳で唐に渡り

都・長安で恵果阿闍梨という高僧につき

 

 

真言の教えをうけ

2年あまりで真言密教の奥義を極め

八人目の『阿闍梨遍照金剛』の称号を得

真言密教を各地に広めた名僧

 

 

当時の帝 嵯峨天皇より高野山を賜り

弘仁7年(816)に諸弟子や工人等多数を伴い

登山し開創に着手された

これが高野山金剛峯寺のはじまり

 

 

20年後 大師六十二歳の承和二年

(835)三月二十一日に

御入定即身成仏を遂げられた

 

 

その後 高弟真然大徳が中心となり

仏教修禅の大道場として栄える

 

 

現在は伽藍と奥の院の両壇を

中核に総本山金剛峯寺をはじめ

百十七箇寺があり 

神秘な霊場を形成している

 

 
 

 

GW真っ只中!

高野山に訪れる多くの人々

 

 

みなさんもご存知

平安時代の高野山に

真言密教の根本道場として

開創した弘法大師空海

 

 

高野山は密教の仏様

時空を超えた聖地だから

多くの人が集まるのでしょうか

 

 

車を駐車場に置き

大門から歩きました

 

 
 

 

大門は高野山の総門

宝永2年(1705)に再建された

 

 

 
 

高さは25.1mの重層の楼門で

両脇に安置する金剛力士は

江戸時代の仏師康意 運長による大作

 

 

 
 
 
 
 
 

 

もう既に

ご存知の方もいらっしゃると思いますが

高野山は大門をくぐり

 

 

壇上伽藍エリア

奥の院エリアの二大聖地があり

 

 
 

 

今回は壇上伽藍エリアにある

金剛峯寺

(国指定史跡地域)

のみをご紹介

 

 

 
 
 

高野山真言宗の総本山で全国に

3600ヵ寺の未寺を有する

 

 

弘法大師空海が開創した当時

高野山全域を金剛峯寺と称した

 

 
 
 

現在の金剛峯寺は文禄2年(1593)

豊臣秀吉が亡母の菩薩を供養する為

木食応其上人に命じて建立

 

 
 
 
 
 
 

 

青厳寺 興山寺を明治2年(1869)に

合併し総本山金剛峯寺と改称

 

 
 

 

御入定とは?wikipediaによると

 

 

56億7千万年後の未来 

この数字意味深!

世界に現れ悟りを開き

多くの人々を救済するとされる

 

 

真言宗に伝わる伝説的信仰

原義は単に『禅定に入る』という意味だが

ことに弘法大師空海が永遠の瞑想に

入っているということを表す

 

 

835年(承知2年)に入生

生死の境を超え弥勒菩薩出世の時まで

 

 

衆生救済を目的とし永遠の瞑想に入り

現在も高野山奥の院弘法大師御廟

入定していると信じられている

 

 
 

 

体験

 

高野山は俗世の喧騒から離れ

自然豊かな中で写経をしたり

阿字観をし心を落ち着け

自分に向き合う時間が持てる

 

 

宿泊

 

また宿坊寺院は52ヵ寺

仏教の奥深さを実感する

宿坊の密教体験ができ

 

 

其々の自然や文化財 

庭園や精進料理が楽しめ

体の芯から清く美しくなる♡

 

 

お土産

 

高野山ならではのホンモノの

胡麻豆腐高野豆腐はお土産にも最適

 

 

薬草胃腸薬銘菓 数珠 経木

お守り 仏具 高野槙など

たくさんの特産品名産品がある

 

 

大門から弘法大師御廟まで

全行程4キロ弱あり

一の橋から弘法大師御廟まで約2キロ

 

 
 

 

参道の両側には樹齢数百年の杉の大樹と共に

諸大名など20万基を超える苔むした墓碑や

供養塔が立ち並ぶ

 

 

脚力に自信がおありの方は是非

お参りされてみてはいかがでしょうか

 

 

最後までお付き合いいただき

ありがとうございました

 

 

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