もう二十何年前のお話てす。
私は、世田谷区に有るテニスコートの前に立っていました。
人気も無く、閉ざされている広いテニスコートはネットフェンスに囲まれて、
音の気配も有りません。
この場所に外人用のリースホームを建てるので、図面を画いてお見積をして下さい。
と頼まれました。
この土地は、貴女のお姉様、沢田月子様と離婚をされた御主人の沢田研二様が置いて行かれた土地、とうかがって、(え~)
ザピーナツ?
意欲が湧いて来ました。是非やらせて頂きたい。
図面は私が描かせて頂きました。
建築が終わると、次は外回りの工事に入ります。
愈々私達の出番が来ました
テニスコートがオシャレな何棟かの住宅に変身しています。
工事中の現場を見にいらっしゃるのはお姉様ではなくて、ユミ様…貴女でした。
何という明るい、優しい方。
取り澄ました所も無く、派手さも、驕りも有りません。ごく普通の女性です。
一世を風靡したスターですよね
お化粧をした姿よりすっきりと綺麗で感じが違います
この方がザピーナツのユミさんなの?
舞台姿しか見たことの無い私の勘ぐり~、
どう見ても違う感じでした。
ハウスメーカーの営業さんと現場にいらした時に、恰度お昼で~、誘われてお食事にご一緒したのも驚きです。
この辺りお屋敷町に住まわれるお客様は、現場で働く者と一緒に食事をされる方はいません。
ユミ様…貴女は気持の優しい可愛い方。
お姉様の代わりに現場にいらしてましたが、全く普通の女性。明るいのに、驚きました。
あの頃私は富士山に夢中で、毎週土曜日になると富士山へ~、
登山では有りません。車で5合目止まり。
御庭、と言う場所に車を停めて、お土産屋さんに通います。
遊び人の植木屋さんに連れられて、
お土産屋さんの御主人が焼いて下さる拳骨のような山芋を頬張り、コケモモ酒を頂き、
5合目上の駐車場には登山の人々が七輪を出して、夕食の支度。其処のお土産屋さんの後ろの方に繋がれた馬たち、
其処から見下ろす雲海の素晴らしい拡がり~、
ふわふわと目の果てまで続く真っ白な真綿の海です。 寝てみたい~。
お土産屋さんは民宿もやっていて、朝はコップ一杯位のお水で洗面します、
お喋りの尽きない話を羨ましい。と聴いて下さいました。「山芋か好きです」と聞いて、お土産にお持ちしましたね。
お姉様は、職人さんが帰った夕方にみえて、建物の様子を外からそっと見ていらっしゃいました。
静かで、寂しそうで、何となく御加減が優れない様子でしたが、離婚の痛手を胸に抱いていらっしゃったのだと思います。
沢田研二さんのお話は一度だけ、
「あの人(ショーケン)は今に何かを企画して、芸能界で大きくなる人なの、と姉が言っていました」 って…
お会いしたお母様も腰が低くて頭を下げる方でした。
沢田研二さんの息子さんはちょっと太っていらしたですね。
本当に明るくて、人を差別しない、太陽のような貴女でした。
お亡くなりになったと聞いて心が悼みます。
無邪気な少女のようだった貴女。
お姉様が離婚後の家族を支えて~。
芸能界には一切出ない、を貫かれましたね。
永六輔さんが作られた(恋のバカンス)
貴女と六輔さんをを偲んで歌って見ました。
ウナ・セラ・ディ東京はカラオケでよく歌わせて頂きましたけど。
昭和に輝いた灯りが、又ひとつ消えました。
とても哀しいです。
安らかに…と願うばかり…。
ごゆっくりとおやすみ下さいね。
(合掌)