■ 名著への旅:笠信太郎「ものの見方について」(河出書房文庫)

一一 (各国お国気質)「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走りだす。そしてスペイン人は走ってしまった後で考える」という小話がある。歩きながら考えるということは、実行と思想が離ればなれにならず、平行しているということである。ドイツ人は考えた後で歩き出し,歩き出したら考えない。

(イギリス人のように)歩きながら考えるとなると第一に抽象的ななことは考えられないから,足が地に着いた考え方ができる.第二に歩くこと(実践)と考えること(思索)がバラバラでなく,平行して進む.第三に一箇所に立ち止まらず,つねに考え続けることになる。(笠信太郎)




◎ 笠信太郎「ものの見方について」

 この書の出版された当時、多くの日本人は敗戦後の精神的虚脱状態から脱却しきれず、よりどころとなるべき自分の考えを持ち得ないでいた。本書はこうした戦後の思想状況に対して、当時の日本人に対し、自分の考えを作り上げるためのものの考え方、見方を提示することを目指して書かれたものである。そして、著者は、ヨーロッパのイギリス、ドイツ、フランスの三国のそれぞれのものの考え方、ものの見方をモデル化して、解説している。著者によれば、三国のものの見方は、以下のようなものである(原著ではイギリス、ドイツ、フランスの順に書かれているが、ここでは説明の便宜上、順序を逆にして述べる)。


● まずフランスについて。

 大革命以来、フランスは右へ左へと激情の赴くままに揺れ動いてきた。そうしたフランスの動揺常ならぬ歴史の背後にあるのは、常に対立に導かれる階級闘争の系譜である。

 同時に、こうしたフランス特有の対立の政治を生み出しているのは、何者をも割り切ってしまわなければすまないデカルト的合理主義の伝統である。つまり、フランスにおいては、社会的な利害関係がそのまま反映されるのではなくて、それが思想的対立に転化し、それ故に妥協の余地なく際限なく対立がエスカレートしてゆく傾向を持つ。しかも、その思想が、ドイツのように論理的一貫性を以て貫徹されるのではなく、直感的で独自的な形を以て表現される。この結果、フランスでは民主政治に必須の妥協がなかなか成り立たず、議会は相対立する立場を雄弁によって宣明する場と化す。

 こうしたフランスの合理主義的傾向のために、フランスにおける政治的対立は、現実の民衆の利害とは遊離した観念的対立になりがちである。フランス特有の「左翼」という考えはこうしたフランス的特長をよく表している。
 フランスにおいては「左翼に敵を持つな」というのが政治の常道であり、新しく出現する政党は舞台の左側から登場して時の経過とともに走馬灯のように右に追いやられてゆくのが常である。
 また、現実の利害と遊離した観念的傾向の赴くところは、観念それ自体の動きが激しくなり、フランス特有の小党分立を生み出す。

 こうして、フランスにおいては、過度の政治志向が日常生活にまで浸透し、社会的な不安感を醸成しているとされる。


●  つぎにドイツについて。

 話はドイツ人気質に関する小話から始まる。
 二つの門が並んで立っていた。第一の門には「天国への入口」と書いてあった。もう一つの門には「天国に関する講演会への入口」とあった。ところが、すべてのドイツ人が最初の門をくぐろうとはせずに。この第二の門へと殺到したという。
 ドイツ人においては、事物そのものよりもそれに関する理屈の方が重視されるというのである。

 ドイツ人においては、論理的であるということが、即ち、物事の真実性を明らかにするものだと受け止められる。その論理がものの「本質」(das Wesen)から出てくるのだという風に語るのがドイツ流の説明である。ドイツ人にとっては、ファウストと一緒に、「一体この世界を奥の奥で統べているのは何か。それが知りたい」というわけである。

 ドイツ人のものの考え方は、ある一点に固定された場所から精巧なカメラを対象に向けて詳細に観察するといったものである。この点は、イギリス的なものの考え方が、さまざまな方角から多面的な観察をするといったやり方とは対照的である。

 こうしたドイツ人の論理志向、本質志向は、その赴くところ、根底的なイデーが王座に昇り、そのイデーに従って人間生活が規定されなければならないということになる。

 そして、それは、勢い、矛盾のない論理一貫した壮大な体系によって世界を覆いつくさねばやまないというところに至る。こうして出来上がった体系は、それぞれ山のように固まった、どうにも修正できないドクトリンと化し、その観念(イデー)が絶対的な力をふるって遂には人間を押しつぶすまでになる。

 このようなドイツ人の性向は、日常生活においては、相手を無視して押し付けがましく理屈を振り回す態度として現れる。「それは禁止されている!」「それは許されていない!」「法律がこうだ!」と相手かまわず真っ向から「否!(ナイン)」と言いまわすのがドイツ人である。

 また、ドイツ人は組織と秩序を何よりも重んじる。「ドイツの秩序」が定まっていて、ドイツの大衆は、初めて、安心と自由を得た気持ちになる。

 戦争中、ヒトラーやエスエスに対する反感はドイツ中に充満していた。ドイツ人の多くはヒトラーには反対で、戦争にも反対であった。一家こぞって、客もまじえてヒトラーを罵り、その名が出るたびにおふくろは拳をあげて反ナチを表明するというありさまであった。ところが、一旦、その家の息子に召集令状が来ると、家族は何も文句を言わずに息子を送り出し、息子も召集に応じて飄然と出かけていった。親たちに言葉をかけると、「これは義務です!」という言葉が返ってくるのである。「ドイツの秩序」とは、このようなものである。


● では、イギリスはどうか。

 「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走りだす。そしてスペイン人は走ってしまった後で考える」という小話がある。
 歩きながら考えるということは、実行と思想が離ればなれにならず、平行しているということである。

 徒に観念的抽象的な問題に走らず、身近で平易な問題を複数の視点から考察してコモンセンスに到達させるというのが、イギリス人の思考様式である。一つのもの、一つの事象を、ある固定した一定の観点からばかりみて説明しようとはしない。あたかも富士山を、乙女峠から、山中湖畔から、田子の浦からとさまざまな角度から眺めると、それぞれ違った富士山が見えるように、イギリス人はいろいろ違った立場から物事を考察してゆく。

 このようにさまざまな角度から物事を考察すると、それがそれぞれに矛盾することがあるが、イギリス人はこの矛盾を無理に割り切ろうとはしない。その矛盾は矛盾として置いておいて、更に観察を深めてゆく。

 こうした考え方、見方をするために、イギリス人の知識は多面的、多元的になる。イギリス人は周囲に満遍なく目を配り、一つの方向ばかりを見つめないで、自分の周囲に起こるいろいろの出来事に対して、気を配ることになる。

 多面的な見方をするということは、ある事物を白か黒かと一方的に割り切らず、その長所も短所も見るということである。たとえば、戦争の相手方となった日本人を考える場合でも、一方では戦場における残忍さを指摘しながら、他方では、平時においては親切で礼儀正しい国民であるということも承認する。

 こうした見方の結果、精神のゆとりが生じ、「寛容」(トレランス)の精神が出てくる。

 イギリス人の考えというものは、一人の優秀な頭脳が考え出した知識ではなく、多数の平凡な人々が寄り合い、話し合って到達したコモン・センスの方を重んじる。いくら優秀な意見でも、自分たちに容易に呑み込めない意見では危なくて使いこなせないと考える。誰でもが納得できるところから始めて、一歩一歩高めてゆこうとする。

 話し合いによって物事を決めるということは、社会が「わたし」と「あなた」から成り立っているということを認めることである。「わたし」の考えと「あなた」の考えとを同時に包含した考え、言い換えると、一面的ではない多面的な、割り切ることのむつかしい考えをもとうとするのである。

 こうした多面的な、割り切れない考えを保つためには、その考えがつねにバランスを保ち、プロポーション(均衡)をもっていなければならない。例えば、現代における政治的な見解として、民主主義的な考え方、自由主義的な考え方、キリスト教的人道的な考え方、社会主義的な考え方があるとすれば、イギリス人の考え方においては、このうちのどれかに凝り固まるのではなく、これらの各要素をそれぞれ併せ持つことになる。ただ、どの要素を多く持ち、どの要素を小さく評価するかというバランスの取り方で違いが出てくることになる。

 考えにプロポーションが取れているということは、要するに、多面性を持つ社会の現実を、あまり理屈でひねくらず、経験的に、素直に見てゆくということである。それは、世界の現実を高いところから鳥瞰するような見方である。

 バランスの取れた考えを持つということは、偉い他人の考えたことをそのまま鵜呑みにして、それに帰依してしまったのでは成り立たない。あくまで自分が考え、現実の発展に伴って、一緒に「歩いて」いなければならない。ここから、思想が直接にその人のものであるという意味において、動いている「人間」が中心となる。

 一定の思想が人間を支配するのではなく、人間が思想を支えているから、その人間は、いろいろ変化し発展する現実やいろいろの学説の中から、それぞれの重みを見分けて自分の思想を作り上げてゆく。ここに人間の自由があり、ほんとうの意味での思想の自由がある。

 この思想の自由があって、はじめてイギリス人のいわゆる「妥協」ができるということになる。妥協というものについて、日本人やドイツ人、フランス人においては、何か節操のない態度、自分の敗北を意味するようなふしがあるが、イギリスではそうではなく、より積極的な意味づけをされている。「わたし」と「あなた」が妥協できるということは、それによって自分が敗れるのではなく、相手を満足させ、相手との調和を取り、自分も相手も一歩前進することができるということを意味するのである。

 以上のように、イギリス・ドイツ・フランスのものの見方を概観した上で、本書はイギリス的なものの見方を政治的に最も成熟した見方として推奨し、続いて日本について言及してゆくのであるが、この点は省略する。

 こうした各国お国気質といった議論は、以前は盛んになされていたが、最近では、少なくとも知的サークルの中においては、あまり聞かなくなった。国民性の本質論といった議論自体が、国民内の多様性(観念的なイギリス人もいれば、実際的なドイツ人もいる)を隠蔽し、歴史的に転変流動するもの(現代の日本人を読書好きの民族とみなすことはもはやできないであろう)を固定化するものとして忌避されるに至ったからであろう。そして、この危惧自体は正鵠を得たものであろう。

 しかし、そうはいっても、ある人間集団について、概数的傾向としての気質というものは、確かに観察される。要は、それをその国民なり民族なりの「本質」であるとして過度に観念化することなく、かつ、観察を多面的に行うことによりレイシズムに陥らないように注意しておけば、この種の議論も、「わたし」と「あなた」との間に対話を生み、相互の「寛容」を育むことにも資するであろう。本書は、そうした試みとして、最も成功した著作であると言える。