「ひき逃げ事故」、この言葉を聞くと、皆さん「ドキッ」となさる

かもしれません。私は、20代半ば、その当事者となりました。

運転も道路法規も、何もあったものではない、とにかく無謀な運転を

していました。

 ある雨の日、6月でした。疲れて、アルコールも入っていました。

仕事を終えて、ギャンブルをして、疲れ果てて、車の中で、シートを

倒して、眠ってしまいました。

 しばらくして、「ダーン」という衝撃音に目が覚めました。何かに

ぶつかった、薄っすらと目の前にガードレールが見える、大慌てで

車をバックさせて、走る、ある駐車場まで。

 車を見ると、前方エンジンルームがむき出しになるほど、大破。

買ったばかりの中古のスポーツカー、ショックのあまり、伯父に

電話をして、現場に戻りました。そぼ降る雨、ガードレールが、

田んぼに向けて、折れ曲がっていました。

 車は、99万円で買ってもらったばかりでした。修理に出しましたが

修理代は50万円以上もかかるということで、断念しました。

 あるとき、警察から職場に電話がかかりました。

「先日、事故を起こされましたね、相手方の車が損壊、中の同乗者の方が

負傷していましたので、救護を怠って、現場から立ち去ったので、ひき逃げです。

警察に出頭してください。」

 私は、驚きとショックで愕然としました。

 私は、自治体の臨時職員として、働いていました。半年後に、正職員の試験を

控えていました。絶望と、どうにもならない厳粛な事実に何もかも人生の道が

途絶えた気持ちでした。

 私は父の遠い親戚であり、私自身は全く面識もなかったのですが、初めてお会いしたのが

その自治体の光栄企業管理者でした。

 

 私は、事故を起こしたことと、警察から連絡があったこと、お酒を飲んでいたことを、

話してお詫びしました。

 

厳しく怒られると思っていましたが、厳然としながらも、穏やかな口調で、

「警察署に赴くことと、免許は、二つとも取り消しになる事、お酒を飲んでいたことは、

話さなくてもいい。」ということをお伺いしました。

 管理者は、警察署長等を経て退職後、管理者として着任されていました。

私にはよくわかりませんでしたが、

電話口で、「事情のある、ひき逃げですからな。」と話しておられました。

 

ここからは、おおまかに中途を略して、クリスチャンとしての証しとして、事実を記します。

 

調書を取って頂きました。まる一日、机の前にずっと座って、私は、自分で反論する気持ちもなく、

打ちひしがれて、応じていました。お酒を飲んでいることは、話しませんでした。

 

 免許は取り消しになり、裁判も受けました。略式で罰金で済みました。

ただ、民事的に、相手との示談交渉は、厳しいものがありました。

「赦されない、」ということがとても、苦しく重く、

職場でも、嵐の如く、話し手はいないのに、四面楚歌でした。

挨拶をしても、返ってこない、十数年間は当たり前のことでした。

次第に、笑いを忘れました。日干しのように表情は硬直してしまい、

いわゆる、御先真っ暗闇でした。けれども一陣の光がありました。

それは、いつか神さまのもとに行けるという、永遠のいのちへの希望でした。

 

 警察での取り調べ等は終わりましたが、私は、クリスチャンとして、

どうしても

『お酒を飲んでいない』と言ったことは、嘘になるので、

洗礼を受けて間もなかった

私は、このことの心の中で、常に葛藤を覚えました。

 

「あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。」

                    [出エジプト記二〇・十六]

 

 私は、そのことを真実を言わずにいることに、心が痛んで、そのことを、

申し上げようと、警察署に行きました。話そうとすると、

その上席の方が、私の話を制して、話さないようにして下さいました。

私は、頭を下げてその場を離れました。

 

 話したら、働けなかったでしょう、今もそう思い、感謝しています。

 

其の事故の後、私は、何も話せなくなりました。

でも、20年位、病気にもなり、様々な事がありました、様々な事、言ってください

ました、でも今、なんの恨みも、憎しみも、怒りもありません。

神さまは、其の事故を通して、私を練ってくださり、自分を、なにもかも周囲に

さらけ出して下さり、私は、キリスト信仰をもって、冷徹に自分を見ることが

できました。お酒も、ギャンブルもやめました。

御一方、御一方は、尊い方々です。

 

 エジプトのヨセフの如く、 

[  あなた がたは私に悪 を謀りましたが、 神はそ れ

を、良いことのための計らいとしてくださいました。

それは今日のように、多くの人が生かされるためだっ

たのです。]

        [ 創世記50:20 ]

 

 イエスキリストの十字架の救いを、主にこころより感謝します。

 

 背後での御祈り、御指導、御交誼こころより主に在って感謝しています。