[「女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。
自分の胎の子をあわれまないだろうか。
たとえ女たちが忘れても、
このわたしは、あなたを忘れない。
見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。
あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。]
[ イザヤ書 49:15-16 ]
🔶 osieraretakoto 🔶
『 ……そして愛する天の父なる神様は、私たちを忘れることが
いっさいありませんということが、16節に書いてあります。
「見よ。私は手のひらにあなたを刻んだ」(十六節)。
ある聖書注解には、「愛人が愛する人の名前を手のひらに書く
ように刻む」という意味だと書いてあります。
忘れたくないから書くということは、電話番号を控えるとか、現在
の社会の中にもあります。
なぜ手に書くのでしょう。それは手が体の中で、いつも目の前にあって、
最もひんぱんに見るところだからです。電話番号を足の裏に書く人は
いません。たいてい手に書きます。
われわれは絶えず主の目の前にいる存在です。
主は私たちを忘れないお方です。手のひら
に愛人の名前を書くのと同じように、主が私たちの名前を一人一人覚え、
また教会の全体を覚えておられるお方であるということは、
すばらしく感動的な真理であります。・・・・・・』
(子どもの未来と親のまなざし パトリク・マケリゴット著)より