4月3日
 
この日は主にエロゲの聖地巡礼目的で新選組縁の地がメイン
個別ルート(Ifの物語)以外は史実に沿って作られた良ゲーですが元々新選組自体には興味が無いのとプレイから2年という月日が経っていて内容ほぼ忘れている人なんで書いてる事間違ってる可能性が高い
 
あと重要な点はエロゲなので主要登場キャラの大半がピッチピチな女に性転換してますのでツッコミは無しで
あんだけ歴史上の人物を女性化しておいてエロシーンは5人のみ、現時点FD無しとかどうなってんの?とは思いましたが
 
 
 
八木邸
1100円(屯所餅、抹茶付き)で1階の一部分のみですが邸内に上がることが出来きガイドの人が当時の事を約30分程詳しく話してくれます
普段であればまず間違いなく複数人まとめて&待ちになるのでしょうがこの時は自分1人だけの案内だったので充分にお値段以上ニトリン
 
 
周りの石は当時のままでここに沖田総司や原田左之助等がよく座っていたらしいです
この事を聞かされた時点で既に興奮度はMAX!
 
 
 
内部の撮影は禁止で大丈夫なのはこの八木邸の門まで
訪れた人はこの門の前でよく記念撮影するそう
ガイドさんが親切に撮影しましょうか?と聞いてくれるのでわいのようなボッチも安心
※混雑時はダメかもしれないんで必ずしてもらえるとは限りません
 
 
靴を脱いで上がらせていただいたら早速その場にある椅子に座ってお話の時間
記憶に自信がない人はメモ帳持参を推奨、かなり貴重なお話を聞かせていただけますので
俺?持ってなかったんで大半脳みそから抜けて忘れたわw
 
 
芹沢鴨や平山五郎等の暗殺現場で史実では酒に泥酔して寝てるところを襲われるわけですがゲームでは暗殺を悟り死を覚悟して待ち構えており俺の中での芹沢はこうであったという事になっている(どっちにしろ結末は変わらない
 
 
現場を目撃していた当時の八木家当主の妻であるマサが後に息子である為三郎に真相を話していますが生前に口外は決してしなかったようで後の八木為三郎の証言でようやく明らかになる
 
暗殺実行時は全員顔を隠していましたが背丈や声などから
実行犯は土方歳三・沖田総司・山南敬助・ 原田左之助、それを表向きは長州派の仕業と仕立て上げたよう
 
 
暗殺当時の刀痕は現在、透明なプラスチック板で覆われて保護
観光客が触れて少し丸みをおびたためだとかw
 
それ以外にも刀の試し切りをしたであろう刀傷も柱に残されていて見学できます
 
見学後は隣接する鶴壽庵で屯所餅
 
 
 
壬生寺
近藤勇の胸像や、隊士計11名が葬られている地
 
 
新選組の墓はここで200円支払い入場可
建物内、地下の歴史資料は撮影禁止ですがそれ以外はおk
 
 
ここから先が隊士達のお墓
 
 
 
この銅像が目当ての人が多いらしいですが俺の中での近藤勇は若くて綺麗でエロ有りヒロインだ!
テメー誰だよッ妄想から覚めるだろうが!ふっふざけんなよw
 
 
あった
壬生寺でこれが一番見たかったのよ
同じく暗殺された平山五郎は登場してないんで居なかったことになってる残念だったな (´^ω^`)
ナムナム
 
 
 
河合耆三郎の墓
勘定方として主に隊費の経理だった人
池田屋騒動にも参戦し15両の報奨金を貰っているのでそれなりに活躍はしていた模様
壬生浪士組だった頃からの古参隊士
 
詳しい切腹理由はいくつか説があり正確には不明となっていますが
河合は切腹を免れるために親元に足りなくなった資金を借り入れるために使いを出していて
たまたま実家で騒動が起きていて資金を送るのが遅れてしまい、結果資金は切腹直後に届けられたというお話でどの道お金が絡んだ問題だと思われます
実家は富裕な蔵元だっただけに本来そんな理由で死ななかったかもしれない不幸な人という印象
 
当然切腹を聞いた親は大変怒ったようで新選組が立てた墓(光縁寺)とは別に息子を供養するための立派な墓を壬生寺に建てました
 
 
 
新徳禅寺(新徳寺
現在内部の拝観は不可
壬生寺の向かい側にあるお寺

江戸から浪士組が上洛した際、この寺の本堂でリーダーであった清河八郎が今までとは真逆である「尊皇攘夷」の大義を説いて演説を行った場所
芹沢鴨や近藤勇達からすれば受け入れられない考えで反発、京都に残留し「壬生浪士組」を結成
 
新選組発祥の地
 
 
旧前川邸
土日祝日のみ玄関(隊士の行き来した当時の勝手口)で、旧前川邸オリジナルグッズ他、新選組に関するグッズを販売
現在は個人宅なので内部の公開は無し
 
・池田屋騒動の発端となった古高俊太郎が拷問
・ 山南敬助切腹 
ゲームでは伊東甲子太郎の策略を阻止する為わざと捕まるような脱走をし自ら死を選んだ美談になっている
 
岩城升屋事件で左腕を負傷し以降表立った活躍はしていない
 
史実では脱走理由に屯所の西本願寺移動問題、土方や近藤と対立してた等されていて不明
沖田総司1人だけに追わせたのは形式上の捜索で見逃す説と弟のように可愛がっていた沖田なら抵抗しないだろうという策だった説がありよくわからないので深く考えないようにしようと思う
 
捕縛され軟禁された山南に伊東や、試衛館以来の親交があった永倉新八からは再度の脱走を勧められるが、山南は死の覚悟を決めていた
新選組の法度で脱走は重罪という規律により切腹
介錯は山南の希望により沖田総司に頼んでいる
 
その最期を近藤は「浅野内匠頭でも、こうは見事にあい果てまい」と賞賛
伊東甲子太郎は、山南の死を悼んで2首を詠んだ。
 
 
光縁寺 
このお寺は新撰組と縁が深く
総長 山南敬助の家紋(丸に右離れ三ツ葉立葵)が寺紋と同じであったことから付き合いが始まったという由来があるそうです
 
山南敬助の墓がある時点で行かない選択肢はない、なんせエロ有りヒロインやから!←そればっかかよ
 
 
 
中央(大石造酒蔵 
左(松原忠司ら12名の墓
 
元隊士の伊東甲子太郎や藤堂平助も当初は光縁寺に葬られたが、のち戒光寺に改葬
 
沖田総司の恋人とされる謎の女性の墓
真実は不明とされるものの京都時代の恋人ではないかという声があとをたたず、昭和51年にこの寺の住職が供養のために建てたという
 
 
 
ここで大宮駅から京都河原駅に移動
お腹が空いたんでお食事タイム
 
くるみのインディアンオムライス
中がドライカレーで鶏肉やキノコが具沢山で美味い
しかも600という安価
 
 
萌神社の京都大神宮
 
 
100円を払って神様にお手紙を書く事ができます
願い事は書かなくても見れば分かるな?つまりはそういう事なんやw
(いつも通りこの手はメインでのハンネで書いてるよ
 
 
 
御朱印の巫女スタンプは3種類ありますが基本のベースとなるのは2種のみ
御朱印帳は普通サイズを2つ(どっちの柄にしようか迷い両方
 
 
神社に合体してるんじゃね?という謎のおにぎり屋でたけのこのおにぎりを一つ買いもしゃもしゃ食べ歩き
 
 
季の音
 
抹茶モンブラン
京都らしくドリンクは抹茶
見栄えが美しくそして美味しい
 
 
 
尊皇攘夷派浪士たちが新選組に襲撃された池田屋事件(池田屋騒動)の跡地 
現在は同名を掲げた居酒屋の店舗になってます
 
熊本藩の宮部鼎蔵 ら9名が死亡、4名が捕縛され翌日20名以上が逮捕
 
襲撃の際通ったとされる三条小橋は目の前
 
池田屋騒動時に三条大橋の擬宝珠に付いたと伝えられてる刀傷跡がありますが詳しくは不明
池田屋の外に出た浪士もいたので、三条大橋で斬りあいになった?のではないでしょうか
 
創作である「+1 武士の鼓動」での争いで付いたと妄想し眺めるのも聖地巡礼としては面白い
この小競り合いは三条大橋じゃないって?細かいことは言っこ無しやw
 
京都市役所前駅から五条駅で降り徒歩で
西本願寺
 
池田屋事件に続いて禁門の変が起こり、幕府にとって長州が討伐対象になると、増員で手狭となった新選組の屯所を親長州派の西本願寺に移転させた。これは、西本願寺と長州系志士たちのつながりを絶つことを狙いとしたもの
 
・この移転に関しては山南敬助と局長 近藤勇、土方歳三との間で意見の相違があったとされ、その後の切腹死の原因となったともされています。
 
御朱印はありませんが代わりに記念スタンプが3種類あるので自分好みなのを1つ御朱印帳の最初の使わないページにペタリ
 
 
大所帯となった新選組は西本願寺の北集会所と太鼓楼を屯所とし、僧侶や信徒達の迷惑も顧みず武芸の稽古や砲撃訓練などを繰り返し仏教で忌まれている肉食も境内で行われた
 
刀傷が今も残っているようですが内部公開はされていない
 
 
本光寺
(ここだけは御朱印受付時間の都合で4月2日にホテルチェックイン前に
 
油小路七条の変
 
新選組と御陵衛士の抗争事件現場(新選組最後の内部抗争
新選組を離脱し御陵衛士を結成した伊東甲子太郎が、局長である近藤勇を暗殺しようと企んでいることを、間諜として潜り込ませていた斎藤一から聞き明らかにされたとあるがそもそもそんな企ては存在しなかった説も有り
 
御陵衛士が江戸幕府と敵対していた長州藩に対して寛大な処分を主張する建白書を提出したことが、長州厳罰論を説く近藤勇を激怒させ、油小路事件につながったものといわれている
近藤勇は資金の用立て・国事の相談があるとの口実で七条の妾宅に伊東を招いて酒宴を張り、帰路に隊士の大石鍬次郎らが待ち伏せ伊東を暗殺
 
伊藤は「奸賊ばら」と叫んで、本光寺前で絶命
 
 
暗殺後、新選組は油小路七条の辻に伊東の遺骸を放置し、その周りに伏せ、遺体を引き取りにきた同志をまとめて粛清しようと画策
遺骸を引き取りにきた同志は、藤堂平助・篠原泰之進・鈴木三樹三郎・服部武雄・毛内有之助・加納道之助・富山弥兵衛の7名
 
新選組隊士40~50名が御陵衛士7名を取り囲み、まず藤堂が討たれ、次に毛内が討たれ、最後に服部が奮戦したが及ばず討死
元八番隊の組長藤堂平助に関しては、近藤の『できるだけ助けておきたい』という指示もあり試衛館以来の同志である永倉新八・原田左之助が逃がそうと試みたものの事情を知らぬ隊士三浦常三郎に斬られ戦死
 
御朱印
1枚目
妙法
2枚目
右・南無妙法蓮華経
左・伊東甲子太郎歌集『残し置く言の葉草』より
 
13時~16時30分と短くその日によって変動するようなので事前に確認した方がよい
 
 
今月末まで山南忌特別御朱印(書き置き)があります
サイズは大判
 
 
 
本願寺は、新選組のために新たな屯所を建設する費用をもつという条件で退去を要請。こうして新選組は慶応3年(1867年)6月に西本願寺からほど近い不動堂村に建てられた、最後の屯所といわれる不動堂村屯所に移転
 
大名屋敷のように立派な規模であったと記録が残るがはっきりとした場所がわかっていない、その為幻の屯所と言われてるのかな?軽く書くつもりが真面目な内容過ぎて少し頭痛くなってきた
記録だと
永倉新八の手記に七条掘り川下ル
近藤勇の甥、宮川信吉の書簡では七条通り下ル
 
同2箇所の屯所跡地を載せた所で聖地巡礼は終わりです、自分が行きたくて回りやすい場所を選びました
 
 
アパホテル京都駅堀川通裏側にある
不動堂
 
 
屯所の広さは1万平方メートル。表門、高塀、玄関、長屋、使者の間、近藤、土方ら幹部の居間、平隊士の部屋、客間、馬屋、物見中間と小者の部屋、大風呂は30人が一度に入れた。大名屋敷と比べても遜色ない構えだった。12月14日、伏見奉行所へ引き払うまでの6カ月間、屯所として使用した。(現地案内板
 
リーガロイヤルホテル前
不動堂村屯所跡を現す近藤勇の歌碑
 
 
ハトヤ瑞鳳閣の前
新撰組屋敷跡の碑
 
 
夜は京都駅ビル10F京都拉麺小路内の
 
茶筅 
ちゃせん玉手箱スイーツ 
 
本来箱を開けて数秒間ドライアイスな煙で玉手箱開けたみたいになるんやけどシャッターチャンス逃したの><
悔しいw
 
 
 
夜の大階段綺麗
完全にノーマークだったので最初これ見た時ビビった
 
京都駅やるな
 
京都タワー展望室で夜景
本来21時20分(最終入場21時)ですがコロナウイルス感染拡大防止で20時(最終入場19時40分)に短縮
結構ギリギリ入場
 
ちなみにコロナ対策で入場時サーモグラフでの体温測定チェック有り
 
 
 
 
昼間はわかりませんが夜は京都駅側の景色が一番綺麗
 
 
ここで2日目は終わり
では、後日に続く!