2022年1月1日FB投稿記事より

 

皆様おはようございます。

令和四年一月元旦を無事に迎える事が出来ましたね❣

今年、令和四年の干支は壬寅年で、冬が厳しいほど春の芽吹きは生命力に溢れ、華々しく生まれる年になると言うイメージがあるそうです、コロナも落ち着き、新たな時代への幕開けになってくれればと切に思います。

一月は睦月(むつき、又はむつびづき)とも言い、

仲睦まじい月との意であり、

1月は年の始めに当り行事の多い時期で、この機会に仲睦まじさを深めるようなお付き合いをしようという意味合いがあるとしています。

昨年は私どもには、年の暮れに悲しく、寂しい事がありましたが、お世話なっております皆様、友人、家族皆の支えと何よりもFBの皆々様方からの沢山のお悔やみのお言葉、そして励ましのお言葉等々を頂戴し、無事に新年を迎える事が出来ました。あらためて厚く御礼申し上げます。感謝 合掌🙏

睦月の俳句を一句

「めでたさも 中くらいなり おらが春」小林一茶作

俳句の意は・・・

「世の中はめでたいとはいうけれど、たいして良くはない私の新年は」と意味だそうです。

さて今年最初の「御朱印・法華経二十八品の心」は法華経【法師品第十】をご紹介いたします。

この法師品は薬王菩薩に語りかけるかたちで法師の心得が述べられています。法師とは仏の教えを世に弘める人であり、出家者とか在家者などの区別はありません。

 一般的には法師というと出家した僧侶の事ですが、ここでは「法華経」を弘める人すべてが法師であり、お釈迦様は「法華経」を弘める者をののしる者があれば、その罪は仏をののしるよりも重いと説かれています。なぜかと言えば「法華経」が諸経の中で第一のお経であるからなのです。

法師品の大意

 如来の滅後にこの法華経を説くものはすべて菩薩であり、それだからこそ、如来と同等に供養すべきで、如来の使いなのです。なぜなら、法華経を説くもの、聞くもの、随喜(ずいき・仏教において、他人様の善行を見て心に歓喜を生ずる事を言います。)

する者は、過去に種々の供養をなしたる者にて、苦悩する人を愍(あわれむ)ゆえに人間として生まれたものなのです。

いいかえれば、人々の苦しみ、自分の身のまわりの苦しみをあえて受け、「法華経」を示す人々なのです。その苦しみは、如来がおられる時以上に多く、大慈悲心(だいじひしん)という如来の室(しつ)に入り、柔和忍辱心(にゅうわにんにくしん・仏法に帰依し、その教えを心として心やさしく、恥辱・迫害にも堪え忍ぶ事を言います。)という如来の衣を着、一切法空(いっさいほうくう・全てのものは因縁により仮に存在し、実体がない事の意味です。)という如来の座に坐して法を持(たも)つことが必要でなのです。

高原穿鑿(こうげんせんしゃく)の喩え・・・

この経では、高原で井戸を掘って水が得られる譬喩が説かれています。この譬喩は懈怠(けたい・なまけたり、おこたったりする事言います。)の心が生じることをきびしく戒めるために説かれたものです。高原で井戸を掘って水を得ようとするのは容易なことではない。

 初めは乾いた土が出てくるだけで、いくら掘っても水は出てこない、しかし、決して失望することなく、さらに掘り進んでゆけば、しだいに湿り気のある土がふえてくる。そして、さらに努力して掘ってゆけば泥が出てくる。泥が出れば水が近い。必ず清冽(せいれつ)な水が得られるはずなのです。

 泥土は菩薩道、清冽な水は仏に喩えられ、菩薩の道である泥土まで行けば、必ず最後は仏に成れる。信仰の問題もこれと同じで、少しばかり信心して効果がないからといって止めてしまえば、仏の道は得られない。それでは駄目であって、一つの井戸をどこまでも掘り続けることが大切であるとの教えなのです。

「法華経」を説くには、如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に坐して説けとあります。

 第一の「如来の室」とは「一切衆生の中の大慈悲心是なり」とあり、一切衆生の心の真っ只中に入ってゆける大慈悲心をもつことで、身近なことで言えば、まわりの人を愛しなさいということなのです。

 第二の如来の衣を着るとは、「柔和忍辱(にゅうはにんにく)の心これなり」と説かれています。どんなことに遭遇しても、どんなひどい目にあっても、どんなにののしられても、決してくじけず怒らない心が如来の衣を着るということであり、あなたに対するつらい仕打ちを赦しなさいということなのです。

 第三の「如来の座」とは一切のものを平等に見る心で、経文では「一切法空(いっさいほうくう)是なり」とあり。人間は頭の良い人もいれば、悪い人もいる。体の健康な人もいれば、病気がちの人もいる。人はそれぞれみな違った個性を持っているとみるのが、差別(しゃべつ)の見方であり、それはそれとして認めながら、仏の眼から見れば平等な人間として見えるのです。すべてみな仏性をそなえ、修行に励めば仏になれる人であり、平等なのです。このように見ることが「一切法空」の見方であり。それは、とらわれているちっぽけな自分を忘れなさいということでもあるのです。

今月の教えは・・・

      哀 愍 衆 生。

      願 生 此 間。

 (衆生を哀愍し、願て此の間に生まれる)

私たちはなぜ人間としてこの世に生まれてきたのでしょうか。

それは生きとし生ける全ての者に優しい哀れみの心を持っ為に自分で願ってこの世に生まれてきたと仏さまは明かされます。

法華経を信仰することで、私たちが生まれる前に誓ったことを思い出すことができます。

皆様も全ての人々に優しい心を持てますように。🙏

妙法蓮華経授学無学人記品第九 抜粋

爾時阿難。羅羅。而作是念。我等毎自思惟。設得授記。不亦快乎。即従座起。到於仏前。頭面礼足。倶白仏言。

(訳) 爾の時に阿難・羅・羅、而も是の念を作さく、

 我等毎に自ら思惟すらく、設し授記を得ば亦快からずや。

 即ち座より起って仏前に到り頭面に足を礼し、倶に仏に

 白して言さく、

世尊。我等於此。亦応有分。唯有如来。我等所帰。又我等為一切世間。天人阿修羅。所見知識。阿難常侍者。護持法蔵。羅羅。是仏之子。若仏見授。阿耨多羅三藐三菩提記者。我願既満。衆望亦足。

(訳) 世尊、我等此に於て亦分あるべし。唯如来のみましまして我等が帰する所なり。又我等はこれ一切世間の天・人・阿修羅に知識せらる。阿難は常に侍者となって法蔵を護持す。羅・羅は是れ仏の子なり。若し仏阿耨多羅三藐三菩提の記を授けられば、我が願既に満じて衆の望亦足りなん。

爾時学無学。声聞弟子二千人。皆従座起。偏袒右肩。到於仏前。一心合掌。瞻仰世尊。如阿難。羅羅所願。住立一面。

(訳) 爾の時に学無学の声聞の弟子二千人、皆座より起って偏に右の肩を袒にし、仏前に到り一心に合掌し世尊を瞻仰して、阿難・羅・羅の所願の如くにして一面に住立せり。

爾時仏告。阿難。汝於来世。当得作仏。号山海慧自在通王如来。応供。正知。明行足。善逝。世間解。無上士。調御丈夫。天人師。仏。世尊。当供養。六十二億諸仏。護持法蔵。然後得阿耨多羅三藐三菩提。教化二十千万億。恒河沙諸菩薩等。令成阿耨多羅三藐三菩提。国名常立勝幡。其土清浄。瑠璃為地。劫名妙音満。其仏寿命。無量千万億。阿僧祇劫。若人於千万億。無量阿僧祇劫中。算数校計。不能得知。正法住世。倍於寿命。像法住世。復倍正法。阿難。是山海慧自在通王仏。為十方。無量千万億。恒河沙等。諸仏如来。所共讃歎。称其功徳。

(訳) 爾の時に仏、阿難に告げたまわく、

 汝来世に於て当に作仏することを得べし。山海慧自在通王如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と号けん。当に六十二億の諸仏を供養し法蔵を護持して、然して後に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。二十千万億恒河沙の諸の菩薩等を教化して、阿耨多羅三藐三菩提を成ぜしめん。国を常立勝幡と名け、其の土清浄にして瑠璃を地とせん。劫を妙音遍満と名けん。其の仏の寿命無量千万億阿僧祇劫ならん。若し人千万億無量阿僧祇劫の中に於て算数校計すとも知ること得ること能わじ。正法世に住すること寿命に倍し、像法世に住すること復正法に倍せん。阿難、是の山海慧自在通王仏は、十方の無量千万億恒河沙等の諸仏如来に、共に其の功徳を讃歎し称せらるることを為ん。

爾時世尊。知諸菩薩。心之所念。而告之曰。

諸善男子。我与阿難等。於空王仏所。同時発阿耨多羅三藐三菩提心。阿難。常楽多聞。我常勤精進。是故我已。得成阿耨多羅三藐三菩提。而阿難。護持我法。亦護将来。諸仏法蔵。教化成就諸菩薩衆。其本願如是。故獲斯記。

(訳) 爾の時に世尊、諸の菩薩の心の所念を知しめして、之に告げて曰く、

 諸の善男子、我阿難等と空王仏の所に於て、同時に阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。阿難は常に多聞を楽い、我は常に勤め精進す。是の故に我は已に阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。而るに阿難は我が法を護持し、亦将来の諸仏の法蔵を護って、諸の菩薩衆を教化し成就せん。其の本願是の如し、故に斯の記を獲。

阿難。面於仏前。自聞授記。及国土荘厳。【所願具足。心大歓喜。】得未曾有。即時憶念。過去無量千万億。諸仏法蔵。通達無碍。如今所聞。亦識本願。

(訳)阿難面り仏前に於て、自ら授記及び国土の荘厳を聞いて【所願具足し、心大に歓喜して】未曾有なることを得たり。即時に過去の無量千万億の諸仏の法蔵を憶念するに、通達無碍なること今聞くところの如し。亦本願を識んぬ。

爾時阿難。而説偈言

世尊甚希有 令我念過去 無種諸仏法 如今日所聞

我今無復疑 安住於仏道 方便為侍者 護持諸仏法

(訳)爾の時に阿難、偈を説いて言さく、

  世尊は甚だ希有なり 我をして過去の

  無種の諸仏の法を念ぜしめたもう 今日聞く所の如し

  我今復疑なくして 仏道に安住しぬ

  方便をもって侍者となって 諸仏の法を護持せん

爾時世尊。見学無学二千人。其意柔軟。寂然清浄。一心観仏。仏告阿難。汝見是学無学。二千人不。唯然已見。阿難是諸人等。当供養。五十世界微塵数。諸仏如来。恭敬尊重護持法蔵。末後同時。於十方国。各得成仏。皆同一号。名曰宝相如来。応供。正知。明行足。善逝。世間解。無上士。調御丈夫。天人師。

仏。世尊。寿命一劫。国土荘厳。声聞菩薩。正法像法。皆悉同等。

(訳)爾の時に世尊、学無学の二千人を見たもうに、其の意柔軟に寂然清浄にして一心に仏を観たてまつる。仏阿難に告げたまわく、

 汝是の学無学の二千人を見るや不や。唯然已に見る。阿難、是の諸人等は当に五十世界微塵数の諸仏如来を供養し、恭敬尊重し法蔵を護持して、末後に同時に十方の国に於て各成仏することを得べし。皆同じく一号にして名けて宝相如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊といわん。寿命一劫ならん。国土の荘厳・声聞・菩薩・正法・像法、皆悉く同等ならん。

爾時。学無学二千人。聞仏授記。歓喜踊躍。而説偈言

世尊慧燈明 我聞授記音 心歓喜充満 如甘露見潅

(訳)爾時に学無学の二千人、仏の授記を聞きたてまつりて

 歓喜踊躍して、偈を説いて言さく、

 世尊は慧の燈明なり 我授記の音を聞きたてまつりて

 心に歓喜充満せること 甘露をもって潅がるるが如し

本日も長文を最後までお読みいただきありがとうございます。

感謝 合掌🙏南無妙法蓮華経

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