2021年3月1日FB投稿記より

 

今日から三月・弥生の月に入りましたね❣暦上では春の始まりでもあります。

(弥生とは草木がいよいよ生い茂る月という意味です。)

首都圏を除いて緊急事態宣言も解除されましたが、皆様におかれましては日々ご健康で過ごされます様にお祈りいたします。🙏

「歩かにゃわからぬ祈りの霊場」(身延山法華経二十八品経石めぐり)は日蓮聖人御降誕八百年の本年二月十六日を目標としてご紹介してまいりました記事も今回の二十八品をもって、2018年12月より毎月一度の投稿を完結する事と相成りまいた。これもお読みいただいております皆様、記事を提供して頂きました筆者様、みのぶ誌の皆様方に深く感謝申し上げます。

(番外編として「身延山七面山を歩き終えて」の2編を後日ご紹介いたします。)

感謝 合掌🙏 南無妙法蓮華経

次回からは新たに「御朱印・法華経二十八品の心」として投稿させて頂く予定にしております。

今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

三月の俳句

『 三月の 声のかかりし あかるさよ 』富安風生作

意味:三月の声を聞くと、昨日とはさして変らぬ今日であるのに、なんだか周囲が明るくなったような気がします。

本日の「歩かにゃわからぬ祈りの霊場」(身延山法華経二十八品経石めぐり)第二十八回は身延山の日蓮聖人御廟所にあります。「普賢菩薩勧発品第二十八」をご紹介致します。

経石に刻まれている言葉は・・・

「一(いつ)に諸仏に護念せらるることを為(え) 二には諸の徳本を植え 三には正定聚(しょうじょうじゅ)に入り 四には一切衆生を救うの心を發(おこ)せるなり」  🙏 

意味として

一には仏に護られていると信じ、二には徳を積み、三によき方向の仲間に入り、四に他を救う心をもてば法華経を得ることができる。🙏

妙石坊を後にして、観音橋を渡り砂防公園を過ぎると、報恩橋という橋があり、足のご自由な方はここから御廟所にお参りする事が出来ます。

洗心洞という名の洞門を過ぎ、右手に歩を進めると御廟所域となり、西谷の竜潜橋から続く参道と合流します。身延山法華経二十八品巡りも、いよいよこの御廟所が最後となります。

御廟所域に一歩足を踏み入れると、その場の空気が全く違うように感じます。右側に檜皮葦屋根の常唱殿があり、左側に納骨供養塔、その先で霊山橋を渡り、手水舎で身を浄め、雫の桜を左手に見ながら一歩一歩階段を登ると、左手に御草庵跡があり、その向こうにはお釈迦様をお祀りした法界堂があります。

御草庵跡は、聖人が鎌倉から身延山に御入山されて草庵を結び、多くのお弟子様の育成、信者様への教化、そして大曼荼羅御本尊や多数のお手紙を認められた聖地として今に残されている大切な場所なのです。

聖人は御入山当時、この地に長く留まられるつもりではなかったようですが、身延山をインドの霊鷲山と同じ聖山として感得され、八年四か月を過ごされました。身延での年月を重ねていく中で、次第に体調を崩されていかれた聖人は、常陸に湯治に向かわれる途中、池上にてご入滅されますが、【いずくにて死に候とも墓をば身延の沢にせさせ候べく候】と遺言され、身延のこの地にお墓が建立されました。

日蓮聖人御廟所に向かって行くと、階段の右側に「普賢菩薩勧発品第二十八」の経石があり「一に諸仏に護念せらるることを為 二には諸の徳本を植え」と書かれていますが、どの様な意味なのでしょうか?

経石反対側には「三には正定聚に入り 四には一切衆生を救うの心を發せるなり」と書かれていて、両面のお経文は繋がっています。

東方の国より、普賢菩薩がお釈迦様の説法の座に来られました。普賢菩薩は礼拝し「私は宝威徳上王仏の国で、お釈迦様が娑婆世界で法華経をお説きになるのを聞き、多くの菩薩と共にやって参りました。どうか私達にも説き聞かせて下さいませ。お釈迦様がこの世を去られたら、その後どうすればこの経を得ることができるのでしょうか」と尋ねられました。そこでお釈迦様は「第一に悪を退け、善行に務めて諸仏の守護を得る事です。第二には、諸々の善根を積むように励む事。第三には、いつかは、この上ない悟りに到達する種を植える事。第四には、この世に生きている全てのものを救おうという心を持つ事です。」とお答えされました。

この四つの条件を満たせば、お釈迦様がお亡くなりになった後も、この経を手にすることが出来ると言われたのです。普賢菩薩は「その教えが忘れられて形ばかりのものになった時には、法華経を守りぬく人々を、私が守護しましょう。もし歩きながら、あるいは立って法華経を読む人を見たら、六本の牙の白い象に乗って多勢の菩薩と一緒に守りましょう。またその人が座って一心にこの経を念じても、私が姿を現し、思い出せない一節があるようなら、一緒に唱えて忘れた言葉を教えてあげましょう。そして、私の姿を見た事により、心を集中できるようになり、真理を見通す力を得るための呪文を会得するでしょう」と語られ、陀羅尼の呪文を唱えました。

筆者様は、御廟所にお参りされた折、その時の風は、聖人様の心に優しく包まれている様に感じられたそうです。

以前にも、お題目を書写し、すがる気持ちで御廟所に日参されていた時、「よく来たね。さあさ、中に入って学びなさい」と御廟所の高い所から聞こえた言葉が分からずに数年経過し、平成二十六年四月に「身延山法華経二十八品経石巡り」がはじまり、身延山総門から始まった初回で、「二十八品をなし終えた時の自分を見てみた」と書き残されましたが、終わりのことよりも、毎月歩き続け、文章にし、書き続けることは容易なことではなかったのです。でも一品一品を歩き、そこにお祀りされている神仏を感じ、法華経の教えに触れ、堂宇を護る方々の優しさに感謝する中で、自分の歩む人生は、身延山・七面山のように険しいけれども、必ず諸天善神様がお護り下さり、変化の人を遣わして、閉ざされた心に光明を与えて下さることに気が付かれました。

最後に筆者様から 【「歩かにゃわからぬ祈りの霊場」とは、お題目と法華経信じていけば、必ず豊かな心に生まれ変わることが出来る「幸せへの道のり」で、二十八品巡りを無事に終えた安堵と、修行の場を頂けた事に感謝しています。】🙏とのコメントです。

感謝 いのち合掌🙏 南無妙法蓮華経

(みのぶ誌2016年7月号より引用致しました。)

(参考資料)

『波木井殿御報』(抜粋)

 畏(かしこ)み申し候。みちのほどべち事候はで、いけがみまでつきて候。みちの間、山と申しかわと申しそこばく大事にて候いけるを、きうだちにす護せられまいらせ候いて、難もなくこれまでつきて候事、をそれ入り候ながら悦び存し候。

 さてはやがてかへりまいり候はんずる道にて候へども、所らうのみにて候へば不ぢやうなる事も候はんずらん。さりながらも日本国にそこばくもてあつかうて候みを、九年まで御きえ候いぬる御心ざし申すばかりなく候へば、【いづくにて死に候ともはか(墓)をばみのぶさわにせさせ候べく候。】

本日も長文を最後までお読みいただきありがとうございます。

感謝 合掌🙏南無妙法蓮華経

115Akemi Ishikawa、梅谷 拓宣、他113人