「知らないことや、都合の悪い測定結果に目をつむる」
「わかりやすいデータに飛びつく」
これは、科学的に遺跡を解明しようとしない「考古学」への指摘です。
でも、このようなことは「考古学」に限ったことではないと思います。
大物と言われる司会者の中には、自分の興味のない、知らない話題になると、不機嫌そうな顔になる人がいます。
反対に自分の好きなこと・よく知っていることには得意顔で語ります。
ある大物タレントは、アニメの話題をふられて、なんとか、ギャグで乗りきったけれど、「知らなかったこと」がくやしくて、そのアニメの原作を全巻読破したそうです。
知らないことは恥ではない。
知ろうとしないことが恥なのだ。
中途半端な自分の知識を得意満面に語ることは自分の無知を公言しているのだ。
パソコンは、本当に便利なものだと思います。
これって何?と疑問があれば、「すぐググッてみよう!」です。
もっと、詳しいことを知りたければ、書店なり図書館へ行けばいいのです。
「ググった」結果は知識の入り口にすぎません。
新聞を読もう運動みたいなことがありますが、「新聞を読む」だけでは、なんの意味もないと思います。
その記事に対して、意見を持つこと。
極端な言い方をすれば、新聞記事のすべてが「真実」であるとは言い切れません。
自分の頭で、考えること。
誰かの考えや言葉を、まるで、自分の考えや思想のように簡単に「コピペ」しても、それは「教養」や「知識」にはならないのです。