運動会の50メートル走で順位をつけず、みんなでゴールイン。
いろいろ議論の余地はあるけれど、平等でいい。
それで関係各方面、納得しているのかと思っていました。
けれども、そうでもないらしいという現象がおきています。
速く走れる運動靴。
速く走れるテクニックを教える講座
なんだ、結局、人より速く走れるようになりたいんじゃないか。
みんないっしょで、「仲良くゴールイン」がいいとしたのは、誰なんだ?
当初は、それでいいと納得していた人々はいたのでしょう。
でも、それは、やがてある感情を生みだすのです。
「みんな仲良く」と管理されることへの不満です。
Aくんは誰よりも速く走れるのに、評価もされず、速く走ろうともしないNくんと「同一視」されることへの不満です。
人間は評価されたい・正当な評価を得たいのです。
特別何かをやっても、何もしないものと同じ評価しか与えられないのなら、やらないほうが楽です。
Aくんは「速く走れる」ことに意味あるいは価値を見いだせなくなってしまうのです。
「速く走っても、無駄な体力を使うだけだし・・」
Nくんは「あいつ、なんであんなに熱くなって走ってだよ。ばかじゃないの」
評価されないことに安住してしまうのです。
Aくんの不満・Nくんの怠慢。
それが、いつか、世の中を、大きく変革させる要素になるかもしれません。