女優になりなさいという言葉 | さごちゃんのブログ〜let it be.思うがままに〜

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よく言われるパッと見のイメージ→怖い クール 緊張しなさそう 人と話すの好きじゃなさそうetc…逆だから〜 ちーん。。そうだ〜 もっと自分をさらけ出すんだ!!思うがままに書こう、訳もなく、意味もなく ぷ笑。ストレス社会と仲良くしよー

自分というのが

自分というままじゃこの世界は生きづら過ぎるなと思い思い思い詰める。
というか
思いに思ったとき、
思いに思い切ったときとでもいうのか、思い尽き果てたときとでもいうのか、


でも、それは物理的に消えてなくなる
しか現実として取れる方法はないのかなと
冷静に思うことがあった

し、今でも思うことはある

なんというかそれがダメなこととか、そういう次元ではなく、
取れる方法として冷静に考えたときに自分自身提示できるのはそういうことだった

という意味で、

それがあまり好ましくない
というなら、
物理的に存在していくのであるとするなら他に方法はないのかと考えるわけであり、

そう考えたとに、それ以外にもよく思ってたことがあって、それは、

あぁ、
「自分が自分でなくなる」
しか方法はないな
ということ。

現実で言ったら、
女優とかなんかそういうことをやって
「自分が自分ではない時間」を多く生きれば、それはまだ生きやすいのかな
と思った。

憧れとか夢とかそういう感情からそうなり目指す、とかそういう次元ではなく、
現実世界を生き抜く方法論として思ってた。

でもさ、いや なんか やっぱりそれっていうのは、
夢や憧れとかでなるのが健全な気がして、結局女優さんであってもそれは、
「自分が自分ではない時間」を多く生きている
けど、やっぱり根本は自分だよな
なんてまた思ったり、行動に至らなかったんだよね。マトリョーシカのようにこう思ってまたその上からこう思うわけ。
し、やってる自分は実際想像できなくて。笑


それで言うと、
よく、普通の仕事で、営業とかね。

「女優になりなさい」
て言われて、
意味はわかる

物を売るんだとしたら、俗世で言われてる、
愛想よく挨拶し、これはとても良い商品ですと思っているかのように案内する、とか目の前の人を褒め称える

とかそういうニュアンスなのかな。本当の自分は思ってなくても良いように言いなさい的な。


でもさ、
意味は分かるけどね、
仮にやっても(やれない私w)、
女優じゃなくて
女優になりなさいと言われたから頑張って思ってるかのように言おうと試みてるただの一般人の営業なんだよね自分は。


と思うわけです。

女優をやったことがないから分からないけど。女優はその時違う人の人生をまさに生きてるんじゃないかなと思って、

逆にそれって言うのは、返って役から離れた時、自分というものがはっきり見えてくるものかな、と思ったりするわけで。虚像と実像的なね。どっちかはっきりするとどっちかはっきりするみたいなね。結局、役を演じることで本当の自分と向き合うことになる、見えてくるというかそういう作業なのかな
と、
この一般ピープルはこの頭で考えて思うわけです。

だから、

巷で言われてる、
「女優になりなさい」
ってのことをこの俗世でずっとやってたら、
それって思ってもないこと言えとほぼイコールで
心が無くなる気がする、私の場合は。それが楽しい人とか苦じゃない人はある一定数いるのかなと思うけどね。


で。で。で。

結局、そんな生き抜く方法(論)として女優を選び、なったとしても(そもそもお前なれないよというのは置いといてw)、
要するに、
現実世界が生きづら過ぎるから非現実で埋める時間を多く取る、
現実を、「自分が自分でない時間」で埋め尽くす

ようなことをしても、対処方法をとったとしても、現実逃避と言われるものかな?


現実は現実で、自分は自分
なんだと思う。

逃避しても結局、現実はそこにある、

という
現実。笑

同じとこぐるぐるぐるぐる回る。現実→非現実→現実、結局現実。なんて残酷、笑えない


だからさ、意味ないんだなと。
で、
取れる方法はさ。
とりあえず手っ取り早く現実を変える
という
ことです。は?w

そもそも、現実とはなんだろう
という所から考える。

現実とは思考、自分自身の世界。

と定義したとき、
思考とか自分自身の世界なんだとしたら、
自意識過剰かなと思ったりはしてたけど、
どうやら自分はこの世では生きづらい方の人間なことには変わりない、
と気付かされ、気付き、
(前からなんとなく気づいてたんだがという話で、それがさらに腑に落ちたという話。)

そう定義してしまったら、
どうしようが自分は自分から逃れられないことに気付いて、絶望したこともあった。

だけど、あなたはやっぱりこの世では生きづらいタイプの人間と断言され、それが腑に落ち、受け入れ、そして、

「あなたはあなたのままでいい」

と、言われ、納得して、


あぁそうなんだ、俗世に合わせるのはやめて自分は自分
という、そんな

「スタンス」

それがいいのね、
と思った。そしたら少し楽になった。


何者になるわけでもなく「スタンス」を変えて、あくまで自分は自分

そうすることにした

する

何者になる訳でもなく「スタンス」を変える、この世は生きづらいかもしれないけど
だからといって何者かになる必要はないのね。

(ワンオクのライブの
We are の中間のTakaのMCのリンクをここに貼りたいくらいだ。のが多いね。)


(↑これ、全部良いけど2分40秒からのMCが刺さるよ というのを後で貼った)

なるほど。もとい。
何者かになる必要はないのね。


女優になりなさい
なんてさ、

無理だから。

と。

女優じゃないし。そもそも女優になってる一般人の営業だから意味ないから
合ってる方はその方法でやるのが良い。が、私には合わないのねと腑に落とし。


あとは、
何者かになるわけではなく「スタンス」を変えよう

と思うに至った
って話。


この世は生きづらいけれど、
少しでも楽にね