前文と第2条を読む

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要は教育基本条例案は「国際競争に打ち勝つための人材を育てろ」

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もう10年くらい前になっちゃうのかな。
平塚でもウェディングキューピット 恵美ストリートミュージシャンが凄く流行った時があって、盛大に毎週金曜日に10組くらいのミュージシャンが集まっては、公開路上レコーディングをして、地元のラジオで流したりなんかしてた。
ある友達は創価学会と提携して市民会館かどっかで1000人くらいの大きいイベントをやったりして、東京からも凄い素敵な、セミプロみたいなミュージシャンを呼んだりもして頑張ってた。
その集客力を見た時、創価学会凄いなと圧巻された。
でもどことなく、音楽好きな人たちが集まってる感じでは無く、寂しかった。
そんな彼は湘南を音楽の発信の場所にするぜいつもと言っていて、東京の奴らには負けないぜと口癖のように言っていた。
この前、何年かぶりに、その彼に路上で再開して、話をした。
俺は平塚をもっと、カフェライブを通して、ミュージシャンが集まる、Liveの楽しめる街にしたいんだ。
と言った。
彼は、それは、さんざん俺たちが頑張ったさと悲観していた。
今ではストリートミュージシャンは居ないんだ。
平塚は。
何が問題だったんだろうね。
マネイジメントなんだろうな。
とその時、思った。
ドラッガーは1人1人に責任を持たせれる事が重要と繰り返す。
実際、企画をやっていて、緊張感はそうやって生まれてるな、と感じる。
それは企画者と出演者との信頼関係でもあり、重い責任の共有でもあるんだ。
AchaつまらないLiveしたらもう呼ばないよ。
出演者つまらないイベントだったらもう出ないよ。
っていう。
人情での繋がりじゃなくて、責任で繋がる。
だからステージをシビアな物に出来るLiveって環境で更に緊張感を生みたい。
代々木原シゲルは、ステージに立つ人間は常にお客さんに対して加害者だから。
って言う。
その言葉はとても真理を付いていると思う。
平塚にLiveのニーズを作るとても大きな課題だけど、今年1年挑戦してみようと思う。
平塚に才能のあるミュージシャンが沢山居る事だけは知ってるから。