平凡の何が悪い?
恐らく私は非凡な個性派であろうと、分析している。
今思えば羨ましかったのだろう、クラスメイトの女友達から、「典型的な日本人ね。」とか「平平凡凡ね。」などと言う冷たい言葉をかけられた。
これらの事から、2つの事が見えて来るように思う。
1つは、人は、最上段に上がろうとするか、「私ほどの不幸せな人間は居ない」と落ちて行ってしまうか、そのどちらかに走ろうとする事。
もう1つは、女社会がいかに難しいか、という事だ。この書き方は語弊があるかもしれないが、中高生にもなれば、大抵は女に目覚めるはずなのに、私はマッタク疎くて、学業やピアノに打ち込んでいた。男性は背中を向けてると気になるものなのだろうか…?不思議だ。
今回私が一番言いたかったのは、「平凡の何が悪いのか。」。テッペンが気になったかと思えば、急に肩を落として落胆し地の底。それではあまりにもみっともないように思えた。
そんなメッセージを届けようとした洋画を、私は3本観ている。「なるほどなぁ。」と感慨深かった。端的に言えば幸せとは、囁かなものなのであり、また意外にもありふれたもののようなのである。
それらの事を考え合わせた時、私は生活のハードルを上げないように気を付けたい。大切な周囲の人たちに対して、ある程度の余裕と優しさで接したいからだ。
「ただ今日だけの為に生きよう」。私は今の現実のそれ以上の何を求める必要があろうか、と感じる。今のままがサイコー。今の暮らしをありがとう。
