(イタリアの旅、その1)
今からもう15年も前のことであるが、障害のある息子と二人でイタリアを旅した。 今は親元を離れグループホームで暮らしている息子に、その旅の思い出を残しておきたいと思い立ち、個人的なことながら、このブログにその記録を記したいと思う。
その旅は旅行会社・HISのツアーに乗ったもので、いわゆる観光旅行である。記録も、かつて書いたインド旅行記(ブログ「30年ぶりのインドひとり旅」)のような思惟を巡らすものではなく、写真による事実の羅列がほとんどである。物見遊山のありきたりの印象しか述べられないが、そのようなものとして読んでいただければ幸いである。
旅に行ったのは2010年の8月23日から30日までの8日間で、私の夏休みの休暇を利用した。息子21歳、私56歳の時のことである。
(成田からイタリア・ミラノまで)
(イタリアを回ったルート。最初ミラノに着き、次にヴェローナ、ヴェネツィア、フィレンツェ、シエナ、ローマと、北・中部イタリアを廻った)
〈出発〉
8月23日の昼頃に成田を出発した。トルコ航空を利用し、イスタンブール乗り換えで、イタリアのミラノに向かった。
〈イスタンブール乗り換え〉
10時間ほどのフライトで、イスタンブールのアタクチュル国際空港に着いた。まだ時差の関係で明るかったが、トランジットで少し時間を取り、夕方の便でミラノに向かった。
夜遅くミラノのホテルに到着した。日本ならば深夜をとっくに過ぎた時間となっており、すぐにベッドにもぐりこんだ。翌日からは専用の観光バスでミラノ観光となる。旅行中は下の写真のバスで移動した。
ミラノは北イタリア・ロンバルディア地方の中心都市で、ミラノ公国と呼ばれる中世都市国家(コムーネ)の伝統を持つ。城壁はすでに失われているが、その中に領主(ミラノ公爵)の館(城塞)と商工民である市民の生活空間、宗教施設(教会)などが広がっていた(地図2)。廻ったのは観光名所のスフォルツァ城、スカラ座、ガッレリア、ミラノ大聖堂であったが、それらはすべてかつての城壁内に位置している(地図1)。
(地図1、ミラノの観光地図、黄色が廻ったところ)
〈スフォルツァ城〉
ミラノ観光で最初に行ったのがスフォルツァ城である。1450年にミラノ公爵スフォルツェスが、それまでのヴィスコンティ家に替わり、その城跡を改築して居城としたもので、私たちが見学したのはその城門のところだけだった。
(地図2、16世紀のミラノの古地図とスフォルツァ城)
この古地図は、ミラノが城壁に囲まれた典型的な中世都市であったことを示している。城壁は後に取り壊され、その部分が現在環状道路になっている(地図1)。
〈スカラ座〉
つぎに行ったのがスカラ座である。世界三大劇場の一つで、イタリアオペラ界の最高峰劇場といわれている。プッチーニの「蝶々夫人」の初演もここである。中に入ったわけではなく、ここも劇場の前でガイドさんから説明を聞くだけであった。
〈ガッレリア〉
その次に行ったのがガッレリアで、鉄組みによるガラス天井のアーケード街である。1877年に完成した。正式には「ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア」という。日本でいうならば明治の初めごろの建築ということになるが、現在広く見られるのショッピングモールの原型である。日本の明治維新の指導者と同じように、近代国家を作っていくイタリア統一運動の主導者ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に因んでいる。世界的な近代化遺産の一つとでも言えるものであろうか。
〈ミラノ大聖堂(ドゥオーモ)〉
ミラノの観光で最後に行ったところで、世界最大級の規模を誇るゴシック建築の教会である。135本もの尖塔が有名である。正面手前に市民のドゥオーモ広場が広がり、息子はそこでサングラスを買い、気に入ってこの旅ではしばしば着けていた。
ツアーであったので、ミラノはこのように名所を短時間に点的に廻るだけであった。午前中に観光は終わり、私たちのバスはつぎの目的地ヴェローナに向かった。
(続く)











