(エジプトの旅、その1)
今も大事に持っているものに、1965年に日本で開かれた「ツタンカーメン展」の図録がある。
(ツタンカーメン展の図録、1965年)
(同上)
展覧会は日本では最初のもので、巡回展の最初にまず上野の東京国立博物館で開催された。私は当時小学校の6年生で、兄とともに母親に連れられて見に行った。展覧会は大変な人気で、博物館の周囲の道路にまでぐるっと人が並ぶほど盛況であった。
(上野の東京国立博物館でのツタンカーメン展、1965年、ネット写真)
(東京国立博物館の周囲にぐるっと並ぶ人たち、ネット写真)
(黄金のマスクの部屋、私の時もこのような状態だった。ネット写真)
私たちが行ったのは9月に入った最初の日曜日であったが、残暑の厳しい中、塀の外に数時間並んだうえ、館内はすごい混み様で、見どころの黄金のマスクの部屋は立錐の余地もなく、流れに押されて動き、大人の肩越しにほんのちらっと見た程度で終わってしまった。
(小学校5年生のころの家族写真、中央が兄、右が私、1964年)
母親は歴史などには興味のない人で、なぜ、私たち兄弟を、北関東の田舎からそんな展覧会に連れて行こうとしたのか、よく分からない。ただ母は教育熱心で、当時、働くばかりの婚家の生活に子供たちの将来を埋没させたくないという思いが強かったようである。中学も地元の公立中学ではなく、水戸の有名私立中学を受験させようとしていた。展覧会に連れて行こうと考えたのも、そんな背景があったのかもしれない。
8年前の冬、この黄金のマスクにカイロで50年ぶりに再会した。
この時の旅は、個人旅行を企画する東京の旅行社に申し込んだもので、期間は3泊5日という極短いものであった。高校で教えていて自分も見たかったのであるが、何よりも、障害はあるが歴史好きの息子に古代エジプト文明というものを見せてやりたかったのである。
(ドバイ乗り換えでカイロに行った)
(出発前、息子と浜松町の焼肉店で一杯やる)
(羽田で出発前、アラビア語を覚えようとしている息子)
(ドバイでの乗り換え)
(カイロ国際空港に到着)
(ガイドのガブリさんの車に乗り込む。写っている右の男性は同行の田代さん)
(空港から出て、カイロ市街に向かう車中から)
同行したのは田代さんという若いカップルのみで、空港ではガブリさんというベテランのガイドさんが会社のワゴン車で待っていてくれた。
ツタンカーメンの遺品のあるエジプト考古学博物館には、カイロ国際空港に着いたその足で向かった。展示は2階の特設コーナーにあった。
(3・40分でエジプト考古学博物館に着く)
(エジプト考古学博物館全景、ネット写真)
(チケット売り場前で、息子)
(1階入り口から左手を見る。ここから展示が始まる)
(1階展示室。ガイドのガブリさんから古王国時代の有名な「書記座像」の説明を受ける)
(2階に上がる踊り場に展示されていた「死者の書」。ガブリさんの説明を受ける)
2階の通路を挟んで、右側にツタンカーメンの遺品のほとんどが陳列されていたのであるが、黄金のマスクのみ左側の別室に特別に陳列されてあった。そこは写真撮影禁止であり、厳重に警備されていた。ガブリさんに「ここは後で見ましょう」と言われ、黄金のマスクは最後になった。
(2階の新王国時代展示の最初にあったツタンカーメン墓の内部の図)
(1922年のカーターの発掘当時の写真)
(ツタンカーメンと頭部のミイラ)
(墓から発見されたツタンカーメン使用の黄金の戦車)
(展示を見る息子)
(黄金のベッド、大小何台もあった。50年前にも同じものを見た)
(有名なツタンカーメンの黄金の玉座)
(玉座のツタンカーメンと妃のレリーフ)
(儀式用のからざおと杖、ツタンカーメンの棺の上に置かれていたもの)
(左側が死者の守護神のアヌビス神、右側はホルス神。死者の裁きの時付き添う。ともにツタンカーメンの冥界への旅立ちの時に付き添った)
(アラバスターという大理石で作った容器や置物。壜には香料が入っていた)
(ツタンカーメンの展示室のつぎに行ったミイラ室。写真はトトメス1世のもの)
有名なレリーフのある玉座や戦車、東京で見た覚えのある黄金のベッドなどを見、さらに奥室にあった歴代のファラオなどのミイラを見た後、引き返して黄金のマスクの部屋に入った。幸運なことにその時マスクの前には誰一人おらず、私は息子と二人きりでマスクと対面することが出来たのである。
(撮影禁止を知らず、カメラを向けていたら、警備員から注意を受けた。でもその前に撮ってしまっていた。右の手は制止する警備員)
(その時の黄金のマスクのアップ)
黄金のマスクは1メートルほど離れて、眼前のガラスケースの中にあった。50年ぶりの対面であった。あの大人の肩越しにちらっとしか眺められなかったのとは真逆であった。つぎの人が寄ってくるまでの少しの時間、その前に立ち尽くすことが出来た。「これだったんだ」「これがあのときの黄金のマスクなんだ」と、深い感慨が心の奥底から湧き上がって来た。
黄金に輝くツタンカーメンの顔は、もちろん50年前と何一つ変わらず、無機質に遠くを眺める少年王の眼差しもそのままであった。それに引きかえ、こちらは少年から老人にすっかり変わり、傍らには、若かった母や兄ではなく、共に生きてきた障害のある息子が立っていた。
これでもう一つ、息子には、私が少年時代に感銘を受けたものを見せてやることが出来た。
母親が私たちの成長に思いを込めたようなことを、結局、私は息子にやってやることができなかった。
息子は、健康で生まれていれば父親以上の人生があったはずである。その贖罪の思いで、少しでも自分と同じことを経験させてやろうと、長年様々なことを一緒にやってきた。エジプトに来たのもそのためである。
50年の時を経て、人生とはこういうものなのだ、と、その運命の不思議さにただただ思いを深くしている。
(続く)
































