世の中はイミテーションに溢れている、AIの普及に伴い、次々にフェイクが作り出され、企業は人件費削減のために、それらの導入を促進する。いつも痛感するのだが、何か一つのテクノロジーが推進される時には、その裏にはとてつもないことが、国民には知らされることなく、

着々と遂行されている。例えばかつての大戦における原爆の開発などである。国はマスコミを

巻き込み、AIを推奨しているように、見受けられるが、それにより、どれだけの人々の仕事が、奪われていくことか?


私が初めてAIに出会ったのは、現在販売している小説を制作中に、その制作会社から、渡された校正用の原稿であった。以前なら、その編集に当たる担当者と、メッセンジャーでのやり取りを経ての校正だったが、AIを駆使した修正すべき文書を指摘したものは、それまでは私が、

気付かなかった文書の癖を指摘していた。初めての小説だったためなのか、その作業には、とても時間を用した。何度もの文章の修正が求められたが、それらを指示する文書は、全てAIにより、作成されたという。実に私はこのテクノロジーの進歩に関しては、余り信用してない方なので、当初は確かに面倒だが、担当者が確認を取りながら、赤ペンで修正するという古い方法が、人間的ではないのかと、思っていたが、

担当者はいくつもの業務を兼ねている現状を、

思えば、AIを駆使せざるを得なかったのかもしれない。しかし私はその進歩により、人間の思考力などが低下しないかが、案じられてならない。AIに依存することによって、何かの作業の 過程で、様々な方法を企画、検討、推進するに当たり、多くのアイデアや実験が時には、必要かもしれないのに、それを考慮したり、結果を見て、次に何をするのかを判断するということまでも、もしかしたらAIに依存すれば、極端なことを言えば、人間は何も考えなくなるのではないか、本来なら、仕事上で作成すべきことなどを、単なるテクノロジーに依存しても良いのか、それによる利便性と引き換えに、それまで人が為していた作業の多くは、奪われてしまい、失業者が増える傾向が強まるのではないかと懸念されるのである。機械化とは、そういう

意味である。経営側には、コストカットになるので、都合が良いのかもしれないが、余剰人員のリストラが加速されることは、明白であり、

その傾向はリスキーだと、痛感する。Aiとは、

関係ないが、現在どのスーパーマーケットでも、普及しているセルフレジにより、レジ係は 減少の一途を辿っている。そして益々コミュニケーション不足に陥っているようにも思える。

その店の店員は、特にセルフレジに関しては、

その操作方法を、お客様に教える程度である。

そこでは、とても事務的な会話しかなく、何ともクールだと、感じるのは私だけであろうか?


とにかく典型的なアナログ人間である私は、それによる人為的な操作により、一見無駄とかミスがなくなるが、人として大事なもの、例えば

暖かいコミュニケーションが、失われていく傾向が強まるようだし、普通の個人経営の小売店から、スーパーマーケットに移行した時代には、例えば貧しい人々が、通帳を持って、つけで買い物が出来、それを月末に支払うという

信用取引をしていたものが、それが出来なくなり、レジ係との会話も、おそらくマニュアルに 基づくもので、そこに人間味が感じられなくなったことを、覚えている。またスーパーマーケットだけではなく、どの会社の営業においても、様々なケースに基づくマニュアルがあり、

例えば私が、最後に勤務した会社においては、

直接お客様と対応する部門では、お客様からの

電話があった場合の挨拶から始まり、様々な

状況に応じた対応マニュアルがあり、最も多くの対応が求められるクレームに関しても、お客様に対して、話す言葉さえも決まっていて、担当者はその言葉を、ただ事務的に各々の客に、そのつど繰り返すだけであり、その対応が終われば、その担当者の本音が出るのが実態で、そのマニュアル重視の光景に、とても違和感を、

覚えたものである。それならばマニュアルにないことが発生した場合には、とう対応するのだろうと、考えたわけである。この思いは起業した現在も、私の仕事上の大きなテーマであり、

やはりそこに真実がなければ、信頼には繋がらない真理があると、思えてならないのだ。


ビジネスを始めて痛感するのは、外見を良くするためには、作りものもO.K.という発想が、普通にまかり通っている実情である。今でも私自身は上手には出来ないが、例えば商品写真の加工である。初めて起業スクールで、それを教わった際には、とても抵抗があった。そして実際にその指示に従ってみると、実際の商品とは、色が異なるなどの珍事が発生した。これでは、

実際に売買が成立して、お客様がその商品を、

手にした時に、当然加工した商品の写真と実物は異なるわけだから、そこで信頼は失墜する。

ビジネスを含めて、この世は信頼で成り立っているので、一度失われた信頼を、取り戻すのは

本当に難しいのである。そして信頼を得ることは、容易ではないので、このままAIが進歩しても良いのか?と甚だ疑問である。だから特に、

SNSで普及しているAIにより作成されたと思われる画像には、抵抗感があり、せめてそれだけは人の手が入って欲しいと願わずにはいられない。


それは特に私が、オリジナルと称した作品を、

作っているからであり、そこに作り手の個性が

感じられなければ、価値がないと確信しているためである。外見を良くするために、AIを用いて、作り手の個性を奪うのか?それとも印象を

良くするためには、あえてリスクが少ないAIを

導入して、作業効率を高めるのか?私はやはり

AIはあくまでもツールの一つで、それに全面的に依存するのは良くないと考えている。


そしていくらでもそれにより、フェイクが作られる風潮は、宜しくないし、益々真実が隠蔽される傾向が強まるような気もしている。