2023年 月 日()
今日の気分は?
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今日かなしかったこと
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5月には母の日がある。生前母には、その日には色々とプレゼントをしたものだが、余り喜ばれなかった。日頃の心がけが大事だと思っていたのだろう。そんなことにお金を使うなら、それを貯金しておくようにと、常に言われていた。普段もう少し親孝行することを、暗に求めていたのかもしれない。
東北出身なので、辛抱強かったが、方言でいう
じょっぱりだった。因みにその言葉は意地っぱりという意味で、父と喧嘩をする度に、よく殴られていたものの、時には意地を張り、頑固な 一面もあったし、何よりも几帳面で、よく父が散らかした洋服などを、きちんと畳んで、片付けていた。農家の出身でもあったので、母屋の
そばにちいさな畑を作り、野菜の栽培をしており、母自身は嫌いだったが、私たちが好きだったから、毎年トマトの苗を植えていたし、なすや豆類などの栽培に、余念がなかった。仕事の
合間に、それらに水撒きをしたり、雑草を抜くなどの手入れを続けて、秋になると、その野菜たちを収穫していたものだ。土作りにも拘りが あり、鶏糞から、堆肥時には落ち葉なども肥料にしていたようである。マイペースで作業していたし、私自身は実は全くそんな作業には、興味もなかったので、母の好きなように作業を、
させていた。
さて母の日である。アメリカの教会で、母親の ために祈られたことが、その発端であり、それが何故赤いカーネーションをプレゼントするようになったのかは、調べていないので、わからないけれど、そこには母親に対する感謝の気持ちも、込められていたに違いない。けれども商魂逞しい人々が、その日にバーゲンセールなどを開催するようになり、すっかりそれが定着した。私も母が生きてた頃には、どこかで買ったプレゼントには、造花が多かったが、店の店員が決まってカーネーションをつけてくれたものである。
けれどもガンのために、母が亡くなって以降、
そんな母の日が、私には辛い日になった。確か
母親がいない人は、白いカーネーションをどこかに飾るようだが、そんなことをする気持ちにも、なれなかった。母が残した畑を見る度に、
懸命にその手入れをしていた母の姿が、思い出されて、悲しみに暮れた日々でもあった。良妻賢母になるように求めて、洋裁とかお料理を、
習わせたがったが、家での母が、気が短い父から、理不尽な扱いを受けていた光景を見るにつけ、結婚によっても、女性は幸せにはならないと思い、ただ夫に従い、尽くすだけで、そのために生じる苦労は、何ら報われない人生など、
送りたくないと思い、男性にとって、都合が良いだけの良妻賢母にだけは、絶対になるまいと
決意して、それらの勧めを一斎拒否してきた。
しかしそれが後に自らに、仇となって返ってくるとは、その時には想像すらしていなかった。
初めて結婚を考えて交際していた人からは、
私がそれらが出来ないことで、女性としての躾がなされていないと、激しく叱責されたものだ。女性だって働く時代であり、子供の頃から、人生においては、結婚などするまいと、頑なに考えていたので、何かの導きなのか、その人との出会いにより、お互いの間で、結婚を意識するようになっても、私は専業主婦になるという発想は、全くなかったから、昔ながらの
良妻賢母を求めた彼にすれば、その古風な生き方を否定していた私を、受け入れることが出来なかったのだろう。実際に私が働かないと、生活は成り立たなかったにも関わらず、私には、 仕事を辞めて欲しいと、何度も嘆願された。
今は亡き彼の母は、若い頃から、貧民の救済活動に勤しんでいたようで、複雑な家庭に育ったが、当時としては、革新的な生き方をしていた 女性で、老いた親の介護を一人で担い、住んでいた地域の人々の助けとなり、時には加工場で働いて、生活を支えていたいわゆるキャリアウーマンで、息子とも適度な距離を保つほどに、
自立していた。自らの生きがいが、子供しかなく、不安で心配の余りに、過度に私に執着していた私の母とは、実に対照的な感じで、本当に
時代の先端を生きる逞しい女性だったように思ったが、彼とは些細なことで、口論となり、結局仲直りをしないままに、疎遠になった。
しかしマザコンである男性は多くて、よく彼は
母親の自慢話をしていて、私にもそんな母親的なものを、強く求めていたが、私は彼の母親ではないし、育ちを始めとして、性格まで異なるから、同じようにはなれるはずもなかった。
だから結婚しても、男性は妻にどことなく母親的な要素を求めがちなのかもしれない。
本当に家庭には、母親は必要で、妻と離婚した 後、母親のいない彼の家庭は、日の当たらない部屋みたいに暗くて、愛情を知らずに育った彼の子供たちは、一時期はとても心が荒れて、喧嘩に明け暮れていたが、確か十代で誰もが、彼から離れて、早々と独立し、何があっても、父親である彼に依存することはなかったし、次男が結婚する際には、彼等を残して、愛人と町を離れた彼の元の妻であり、子供たちには母親だった女性を、その結婚式に招き、離婚後に彼等を引き取り、養育していた彼は、親として、その結婚式には参列出来なかった。朝から大量の 酒を飲み続けていて、親らしいことをしていなかった報いでもあろうか?
いずれにしても、母親がいない孤独や辛さは、 どんなに歳月が流れようとも、決して心からは
消えない。故に母の日は嫌いなのである。母親が存命であることを前提としてるからだ。だからそんな儲けを得るために、開催される母の日セールは、本来の意味とはかなりかけ離れているので、とても違和感がある。ヨーロッパみたいに教会で祈る方が、本来の母の日の主旨である。こうして真実が、常にねじ曲げられていく風潮に抵抗し続けている私がいる。
