最後に勤めた会社は、早朝勤務で、冬は夜明け前の出勤だった。真夜中に起きて、コーヒーを

淹れて飲むことから、1日が始まる。静寂の中

普通なら、誰もが寝ている時間からの仕事。

時間や日にちの感覚は、ずれてくる。そんな仕事を10年続けて、会社を辞めての起業。しかし

さらなる困難が待ち構えていた。ビジネスを知らないので、メンターさえおらず、初めて出会ったある女性のコンサルタントには、私の仕事のノウハウを盗まれそうになったり、他のコンサルタントからは、法外な料金を請求され、それが支払えないと、一方的に関係を切られた。


私自身は、自らを表現したくて、物書きになったのに、そのノウハウを、他に本を作りたい人の役に立てた方が良い。つまり出版プロデューサーになれと言われて、私は自らの本作りのノウハウを、簡単に教えたくはなかったし、

自分が前面に出ない働き方は、自分らしくないと思い、それすらも拒否した。ようやく自らを

表現出来る仕事を始めたのだ。それを奪われたくはなかった。だが世の中は甘くはない。何もないところから始めた物書きとしては、宣伝費もさほどかけられず、大手の出版社からも本を出してはいなかったので、知名度もなく、ハードカバーの本すら作れずに、人々からは、その本の価値が伝わらず、中にはこれが本かと揶揄する者までいて、とても悔しい思いも重ねた。


そんな中でも、私は紆余曲折の末に手にした物書きとしての道を諦めたくなくて、自分なりの本を作り続けた。毎日SNSに投稿し、イベントがあれば、可能な範囲で参加し、営業活動を続けた。本だけなら、宣伝にもならないと判断して、ガレージセールを想定して、必要がなくなったり、知人からの頂いた中古の食器類などを

合わせて、販売したら、フロント商品であるそれらの食器は売れても、メインである本はなかな売れなかったこともあった。営業は、予想通りにはいかないものである。売上があるのは嬉しいが、本当に売りたいものは売れず、そのメインのものを売るために、用意した客寄せ商品の方が、よく売れるのだから。


故にいろんな店でバーゲンセールを行うのも、同じように理由で割引商品は、いわば集客のためのブロントラインで、その相乗効果を狙い、その店で最も売りたい商品をも買わせることが目的で、頻繁に開催されるのである。そのからくりが、自らで営業を経験して、把握出来たような気がした。


どんな働き方をするのも自由だが、ビジネスは

リスクを取る覚悟が必要で、時には売上が、低迷する時期もあり、どんなに工夫しても、集客に繋がらないこともある、まるで闇を漂う小舟を操縦しているような心境である。風を頼りに航海するのにも似て、海図もない海を行く旅人みたいなものが、いわゆる商人である。人が飛躍する前には、一度腰を落として、エネルギーを蓄積するというが、私は見切り発車をしたものの、その行き先はわからないという状況が、しばらく続いた。


そんな時には、どんな手段を行じても、結果は

伴わなかったが、そんな姑息なことを辞めて、体当たりで、人と対峙した瞬間に、不思議とそこでコミュニケーションが生まれ、売上に繋がったことがあった。その瞬間に営業とは自分を売ることだという意味が、わかりかけたように思った。 まさに暗闇から、少しずつ空が明るくなり、朝焼けが空を染めるように、私の人生の闇の中に、淡い光が降り注ぎ、その先に道が見えた瞬間だった。まさに人生の夜明けが訪れたのである、闇が深いほどに、そこに照らされる光は明るく感じるものだ。ビジネスは心だと、確信した出来事だった。


私は何故ビジネスを始めた多くの人々が、時には売上が安定しない中でも、それを継続するのかわかるように思った。一人でも、商品を喜んで、買って下さる顧客がいて、それが嬉しくて、ありがたいからなのだ。そこに生じる顧客とのふれあいが、ビジネスをする上での大事な要素であり、真髄だから、諦めることなく、商道を、邁進しているのだろう。それはいつも上手くいけば、感じることがないビジネスの本質である。


私が好きなあるシンガーソングライターの曲の一説に、明日は近い。今そこにという歌詞がある。闇が深くて、見えない現状。明日なんかあるのか。今を生きるだけで、精一杯だと言いたくなる状況であっても、明るい明日は近くにあるのだとその歌詞は示している。ならば空が次第に明るくなる夜明けの光を浴びつつ、今日を

自分らしく、懸命に悔いなく過ごすことが大切だと、痛感するこの頃である。