我が家では、弱音すら吐けなかった。両親はとても厳しかった。特に嘘をついたら

叱られた。彼等が嘘が嫌いだったこともあるが、正直な人間だったからだ。しかし父は、

気が短くて、思うようにならないと、すぐに切れたので、私は幼い時から、なかなか本音が語れなかった。父が人の話を聞けない性格だったからだ。夫婦共稼ぎだった。仕事と家事の両立は、身体にこたえるが、それでも家で体調の悪さを訴えても、非難された。甘えていると思われたのだ。だから例えどんなに辛く、悲しいことがあっても、素直にそれを語れずに、なんでもないふりをした。そうしないと、常に責められたからだ。何故素直に自らの感情を、表現

出来ないのか?何故心の真実を語っても、共感してはもらえないのか?何故意図的に親を怒らせないように、ふるまう必要があるのか?

それは本当の自分を出せずに、嘘をついている

ことになるのではないか?誰かにとり、都合の

良い性格を演じていただけで、それは本当の

自分ではない。だから苦しいのだ。そしてそんな環境からは、容易に抜け出せずに、誰もが、

依存してきたが、自らの期待や予想とは、かけ離れた私の真実を見出だした時には、誰もが、

離れ去った。しばらく人が信じられなかった。

だから常に私は何かが始まっても、それが終わることを想定するようになった。虚飾と嘘に

まみれた世界。そこには真実はなかった。


聖書で初めて十戒を知り、その中に汝偽証すべからずという言葉を見た瞬間に、私は心がえぐられる思いに駈られた。心の真実を示すことが

出来なかったそれまでの人生。どこか演技を

していたことか苦しかった日々。それが嘘で

なくて、何なのたろう。それだって偽証になるのではあるまいか?また汝の父と母を敬えと

いう言葉もある。私は仕事は出来たが、暴力的な父を許せず、怒りと憎しみを抱いていたから、全く尊敬出来なかったから、この言葉も、

心に痛かった。槍のように心を指し貫いた

それらの言葉。私はそれらの言葉は守れないと

感じた。でもそれを守ることを求められているのかとも思い、葛藤する日々が続いた。


実は今でも亡き両親に対しては、複雑な思いを 拭いされない。常に彼等の顔色を伺って、生きてきたからだ。そこには本当の私はいない。

彼等にとって都合の良い演技をしていた私が、

いて、それを親は見抜くことが出来なかった。

だから両親が亡くなって、初めて私は遅まきながら、自分の意志で何かを決めて、生きられるようになった。もう演技をすることもない。

もう誰かの顔色を伺うこともない。

けれども幼い頃から植え付けられた心の傷は、

そう簡単に癒されるものでもなく、例えば否定的なリアクションだったり、人格否定を連想させる発言があった時には、そこに両親の姿が、

投影されて、抑圧していた怒りの感情が出て

しまう。もう親はいないし、そんな意味では、

家では誰にも責められることはないにも、関わらずである。私が本来の私であっても良いと、

思えなかった環境により生じた思いは、消えないのである。


私は本当の私でいたい。嘘なんかつきたくないし、演技なんかしたくない。故に初めて

アフィリエイトをした時に、ある先輩から、

演技をしないといけないと言われた瞬間に、

もう良いでしょ。私はずっと演技をしてきた。

いくら収入のためとほ言え、もう演技はしたくないと痛感し、その仕事を辞めた。本当の自分でいられなかったことに、我慢がならなかったのである。私は私らしく生きたくて、会社勤めを辞めて、起業に至った。それまでは自分を、

抑圧し続けていたから、ようやく自分を表現

出来る働き方になったのに、そこでも自分を、

偽らないとならないのかと、思ったのだ。


正直者が馬鹿を見るとよく言われるが、ビジネスを始めて痛感するのは、むしろ嘘をつけば、

その代償は大きく、信用を失うという事実だ。

今は写真も修正出来る時代であるが、私は、

当初この修正が嫌でたまらなかった。起業当初から、地方発送も行ってきたが、もし注文された物の色合いが、写真と異なっていたら、それだけでも不信の原因になるのではあるまいかと、感じていたからだ。一度失った信頼を、

取り戻すことがいかに大変であるかを、知っていたので、出来れば商品写真も加工することなく、自然に撮影したかったのだ。加工することにより、それを見る人々を騙しているように、

思えたからだ。商いをしていれば、商品の見せ方は大事で、それにより売上が左右されるものだが、私は真実で勝負したいと考えてきたし、

その思いは一貫している。だが人は見てくれが

良い物を選びがちであり、私はその現状を受け入れることが、どうしても出来ないのである。

本当のものが最終的には残ると信じていて、

私が提供するものは、嘘のフィルターをかけたくないからだ。万民向けのものは造れないし、

私が作るものは、一部のマニア向けかもしれないが、それでも構わないと考えている。それが

少しずつ増えていけば良い。派手な宣伝をすれば、一時的には集客には繋がるだろうが、それは長続きはしない。だが細々ながらも、徐々にリピーターを増やした方が、長い目でみれは、

安定に繋がるのではなかろうか?


現にSNSで知り合った人が、私の商品に興味を

抱き、それを購入して下さって、新規の顧客の

一人になってくれた。何度か作り直した商品

案内を見て、その購入を決めてくれたのである。ビジネスをしていて、嬉しくて、ありがたいのは、そんな顧客との出会いである。だから

私は仕事が続けられた。そんな人々に商品を、

通じて、喜んで頂きたいし、私がどんな人間なのかを知って欲しいからだ。ようやく嘘のない

自分を表現する働き方が出来るようになったが

それまでには多くのものを失い、辛かったけれども、大きな代償をも払い、痛い思いや悔しい

出来事も重ねた。だがそれらは無駄にはなってはいないと、私は信じる。仕事を通じて、私が

求めてきた心ある人々が、顧客になってくれているからだ。これからも嘘のない仕事を、継続していきたいし、それで結果を出すことが、

起業し始めて以来、私を応援してくれている

人々の思いに応えることだと、確信している

からである。