会うは別れの始めなり。この言葉を実感する
ようになったのは、ある年齢を過ぎてから、
続いたいくつかの別れからだった。子供の頃から、何故か始まりよりも終わることを、意識
していた。例えば誰かと出会っても、この人も
私から離れていくのたろうかと、漠然と考えたものだ。一見明るくて、元気に見られがちだが、本当は今風に逃えば、陰キャだ。
亡くなった両親がとにかく物事をネガティブに捕らえる性格で、何かをしても否定から始まるようなタイプだった。だから私は幼い時に、親と遊んだ記憶がない、共稼ぎで忙しく、家にいれば疲れて、苛ついていたからだ。特に母は会社で働き、家に帰れば、家事も手を抜かず、私から見れば主婦としても完璧に見えていたし、夜中でも私たちのために、洋服を機械で編んでくれた実によく働く人だったから、母はいつ休んでいるのだろうと、思ったものだ。
20代で教会に関わるようになり、神や人の死、
そして天国について、教わった。生きていれば
避けがたいことであるが、私は死に対しては、
さほど良いイメージがない。それは典型的な
核家族で育ったから、人が老いていく現実や
いかにして、死んでいくのかを、間近で見る
機会が少なかったからでもあり、死が恐ろしいことたと思い込んでいたためでもあり、母の
親戚が脳の病気で、自宅近くの病院に入院し、
確か真夜中にその患者の世話をしていた家族から、容態が悪化したから、すぐに病院に来て
欲しいと連絡があり、私が両親とそこに駆けつけてから、まもなくその患者は天に召されて、
何を思ったのか、今は亡き父が、その人の死に顔を見るかと私に尋ねたが、私はそれを拒否した。初めて人の死に顔を見たのは、母が息を、
引き取った時で、その日はとても暑かったことを、覚えているが、不思議と涙は出なかった。
教会では人の死は、天におられる神のそばに
行くことであり、私たちはいつかその天で、
再び会いまみえることが出来ると言われてきた。しかしミケランジェロの有名な最後の審判という大壁画には、この世での行状により、
神から審判を受け、善をなした者は天国、
そうではない罪深い者は、地獄に突き落とされるという。だから悪いことはせずに、罪を犯したなら、悔い改めよと教える。もし天国で親しかった人々に再会出来るなら、誰も苦労は
しない。キリスト教人口が、全体の1%しか
いないこの日本においては、おそらく大半の人々は、死によって、すべてが終わり、肉体は滅んでいくと信じていて、何かの災いがあると、死んだ人々を供養していないからだと、こじつけがちてあった。死の本当の意味を知らないから、そんなに迷信じみたことが流布されるのだろう。私が所属する教会の教派でも、いくつかの教会では、生と死を考える会を主催し、時折講師を招いて、それらに関する講演会が開催されている。
これまで多くの別れを経験した中で、今でも
耐え難いのは、両親との死別と恋人との別れである。親が亡くなり、家庭の事情で、私が実家を継いだが、歳月の流れと共に親を意識するに
至り、今さらながら、親の存在の大きさを、
実感する。そして気付けば、親と同じような
習慣で暮らしている自分に気づくのである。
故にもし願いが叶うのなら、それらの人々との
再会を果たしたい。現実では難しいことは、
知りながらである。人生は時折皮肉て、会いたい人には会えず、会いたくない人には、よく
会うものだ。
今私には会いたい友人がいる。その人は闘病中で、5月に手術をするという連絡をしてきたことを最後に、それ以来連絡は途絶えている。私の
脳裏には、その人がもうこの世にはいないのだろうかという最悪のシナリオが浮かぶ。普段でさえも、連絡が遅かったり、それが来ないことは頻繁にあるから、今は状態が悪くて、連絡が
出来ないのかもしれないと、想像することも
ある。私が困難にある時には、いつも心配してくれ、時には様々な交通手段を使って、会いに
来てくれたものだ。もし私がその人の家族と、
親しかったなら、遠慮なくその人が住む町に
出向き、見舞いをするところだが、あいにくと
その家族とは全くお付き合いもないから、
今はそれも困難である。その人をよく知る人にも、その人に何かあれば、知らせて欲しいと、
頼んではいるが、先月の段階では、まだ病院に
いるようなので、連絡が取れないというメッセージを送ってきただけて、それ以降の状況は、
全くわからない。
私が会社を辞めて、起業した時に、私の暮らしを最も案じてくれたのが、その友人で、もし
私がこれまでの人生において、その人から受けた恩を返すとすれば、始めた仕事が起動に乗り、経済的にも安定することが、その実現に
なるだろうが、未だに不安定な経営が続き、
少し焦りの境地である。でもいつもその人は、
私を見守ってくれていると信じて、その身体の
回復を祈り続ける日々である。