扉を開けたら、正面には中央に十字架が置かれた祭壇、どこからともなく聞こえてくるパイプ
オルガンの調べ。木製の会衆席の隅、バージン
ロード側には、白いリボンの飾りが付けられて
いる。祭壇の前には、白か淡いグレーのタキシードの男性が、待っている。結婚行進曲が、
流れる中を、バージンロードを父親と共に
歩いて来る純白のドレスの女性。二人は祭壇の
前に立ち、司式をする牧師が祈祷書の聖婚式の
箇所を読み始める。
聖堂後ろの二階席は聖歌隊席で、子供から
大人まで数人のクワイアらが、讃美歌を歌っている。私が住む町の老舗ホテルの一角に、チャペルがあり、私は一度だけその挙式に招かれた
ことがある。しかもある牧師の娘が、その挙式における花嫁で、当初は他の町の教会の牧師が
その挙式の司式をする予定だったらしいが、
急遽彼女の父親であるその牧師が、その役割を
担うことになったのだ。後にその牧師は、新婦である娘と視線を合わせないようにしていたと
述べていたが、その当日はどんな思いで、それに望んだのだろうか?
しかも同じホテルの別の部屋で行われた披露宴は、教会関係者だけが、招待制だった。
会費制が一般的な北海道における結婚式の
披露宴が、その参列者のごく一部だけが、
招待制だったから、ご祝儀をどれほど包もうかと悩んだものだ。私たちが結婚式における
招待制に馴染みがなかったからだ。教会仲間と
相談して、事前にその相場を確認して、事なきを得たが、私はこのチャペルウェディングに
深い憧れを抱いていた。誰かと結婚する時には
この形式で行いたいと、願っていたのである。
かつて私はある人と交際していて、自然と結婚
の話になり、当時司牧していた女性の牧師補に
教会での結婚について、相談したことがあったが、その付き合っていた男性が、クリスチャンではなく、もしそれを望むなら、互いの家族
からの祝福が必要である。けれども教会での
結婚式は、厳密にほノンクリスチャンである
者が、将来的に洗礼を受けて、その教会の
信徒になりうる可能性がある場合に、認められていたが、元来無神論者で、二人で教会には
通ってはいたけれど、その人は洗礼を受ける 気持ちはなかったし、双方の家族には私たちの
交際は、猛反対されていたので、祝福など受けられるはずもない。故に念願だったチャペル ウェディングは出来ず、その夢は幻になって しまった。
だから先の牧師の娘のホテルのチャペルでの 挙式に参列しても、新郎と新婦を祝福する
気持ちにはなれなかった。もし私たちの家族が
交際に反対せず、恋人がクリスチャンになる
可能性があったなら、私もチャペルでのウェディングが実現したかも知れないし、そうなれば私も彼女と同様に白いウェディングドレスを
まとって、新婦として、チャペルウェディングの主役となっていたのに、それが叶わなかった悔しさ故の嫉妬からであった。
その後の披露宴では、彼女は確か3回お色直しをしたと思うが、そんな彼女にも、心からの
祝福の言葉はかけられなかった。それから数年後に彼女は、その夫になった男性と離婚し、 他の人と再婚した。一度ならず、二度も結婚
出来たとは?私は結婚を考えていた人とは、
ついに結婚は出来ず、昨年その人はある施設で
天に召されたらしい。昔はよく知人などから、結婚について尋ねられたものだし、亡き母も
お料理や洋裁を習えと言い、いわゆる私に、
花嫁修業を、させたがっていたが、それを、
悉く拒否し続けていた。そんなことに満足感
など、感じなかったし、男性にとって、都合の
良い女性にはなりたくなかったのだ。
大学時代に友人と、長野の蓼科界隈を旅した際に、そこから近い白樺高原に、おそらく結婚式用ではないかと思うが、チャペルが建てられていて、扉が開いていたので、中に入ってみた、照明がついてない薄暗い空間だったが、祭壇
には、対の蝋燭が入っていた燭台が置かれて
いて、その中央には十字架があった。その
チャペルでは、必要があれば、実際にそこで
結婚式がなされるのだろうと、想像して、
しばらく私はそのチャペルに佇んでいた。また北海道の東に位置する港町である 釧路市には、駅前に、同じく結婚式用と思える黄色の 外壁のチャペルが建てられているが、何故
騒音がある駅前の国道沿いに、その当たりとは
似つかわしくないチャペルが、建てられている
のか、理解に苦しんだ。
さて憧れであったチャペルウェディングは、
出来ずに終わったし、年齢的にも結婚なんて、難しいと思うこの頃、もし結婚したなら、 どんな人生だったかと、空想することがある。
だが独身で生きることも、神のお導きだった
のかも知れない。今好きな仕事が出来ているのも、扶養する家族がいないからでもあり、
結婚だけが幸福ではなくて、人生では何が
幸いするのかわからないものである。
国道
中央