典型的な核家族で育った。両親は現在私が住む

北の町の出身ではなくて、若い頃に親戚を頼り

移り住んだので、私は幼い時から、家庭内は

もとよりそれ以外でも、老人と接したことは

なかった。老人と接するようになったのは、若い時に通い始めた教会においてであった。


町で最も歴史が古いその教会はかつては若者も多く集っていたのだろうが、様々な理由で若者が訪れなくなり、信徒の大半は老人だった。

当時はまだ誰もが元気だったけれど、なかなか信徒が増えないし、若者はさほど教会を訪れないので、それまでの慣習等を維持する傾向が強く、中にはとても頑固な性格の者もいて、老人に慣れない私は、当初はその閉鎖的な教会の雰囲気が、嫌でたまらなかった。もし大陸育ちの寛容な牧師がいなければ、おそらく洗礼は受けてはいなかっただろう。


彼等は礼拝終了後に、お茶を飲んでいた時に、

よく教会や自らの過去を語っていた。古いことは鮮明に覚えているもので、地元には埋もれている町の歴史を掘り起こして、それを記録する

歴史の会があり、その会が町の歴史に関する本を、いくつか出しているが、それには掲載されていない市民目線の町や教会の歴史を、懐かし

そうに話していたけれど、まだ若くて、社会経験も乏しかった私は、毎回同じ内容の話しか

しない彼等に呆れ、迂闊にも、それを記録して

いなかった。後に教会が誕生して、110年になった年に、その教会の110周年記念誌を作成したいと思い、図書館などで、色々と教会に関する資料を探したが、容易には見つからなかった。戦時中私が属する教会は、軍に接収されており、おそらく貴重な資料は、軍により、処分されたのだろう。その瞬間に、老信徒たちが、

よく話していたことが、教会にとり、とても貴重なエピソードだったことに、気づかされ、その記録を取らなかったことを、後悔したものだ。


その後も手を尽くして調べてみたが、伝承されていた歴史の裏付けになる資料は発見出来ず、

記念誌作りは断念せざるを得なかった。


それから数十年の歳月が流れ、最後まで私の

クリスチャンとしての生き方や教会に反対していた両親は天に召され、誰にも遠慮することなく、教会生活が出来るようになったが、若い時には考えてもみなかった老後について、考察するようになった。若者は未来を見て、老人は幻を見るという言葉を、聞いたことがある。年を重ねていけば、失うことが多くて、一体何を得られるのかと、思い続けていた。ふと教会内の

壁に飾られていた老いの賜物という詩を、思い出した。確かその詩は老人にも、神様から与えられた賜物があるという内容だったと思う。


確かに記憶力や様々な機能は衰退していくが、

若者にはない多くの人生経験がある。特に先の戦争を経験した世代の人々は、忍耐強く、芯が通っている。貧しさを経験して、そこを生き抜いた者の強さを、垣間見て、私は彼等には敵わないと痛感した。祖父母と暮らしたことはないが、そんな老人らを通じて、私は多くの学びを得て、その真実な姿を知ることが出来たのだ。これも神からのお恵みなのかもしれない。

そして確かに先の詩のように、老人にも、若者には負けない賜物があり、それが用いられて、

教会内の奉仕をしていたのだ。


今はその大半の老信徒は、天国にいるけれども、もう少し心を開いて、彼等の話に耳を傾けて、もっと色々と教わりたかった。私自身も老後を意識する年代になり、定年前に働き方を変えて、人生の再出発を図ったし、固定給ではないので、先のことは全く予測出来ない。

若かりし頃は、自分が年を取ることなど、考えてはいなかったから、これからの第2の人生を、どう歩んでいこうかと、悩み惑うこともある。


そして老後問題は、若くて、エネルギーがある時代から考えて、あらゆる状況を想定して、

プラン作りをした方が良いと思う。年金機構が資金運用に失敗したことや著しい人口減少により、年金の原資が不足し、年金の支給率が下がっているし、コロナのために、経済構造が激変した。またAIの普及に伴い、仕事は徐々に奪われ、企業はコスト削減のために、新規採用を、手控えている。もう会社が労働者を守る時代ではない。労働者自らが会社に依存せずに、生きていく時代になった。それ故なのか起業する者が増えているようで、起業塾等には、多くの起業希望者が殺到しているらしい。


もはや年金だけでは暮らせないので、かなりの高齢でも働いているし、年金支給開始年齢も、

引き上げられるというが、経済不況が続き、多くの企業が経営難故に、倒産している状況なのに、仮に定年を迎えても、まだ現役で働きたいと望む人々に対する求人はあるのか甚だ疑問で

ある。公務員を除いては、高齢であっても、働く必要があるにも関わらず、その受け皿がないのが現状だ。一時期ベーシックインカムが、マスコミで取り沙汰されたが、それは一律の支給をして、年金等を廃止する目論見からの提言だった。幸いなことに、世論の反対があり、施行には至らなかったが、税も応能制にして、所得が高い階層から、多く徴収するとか、予算配分を見直して、アメリカからの圧力により、かけすぎる防衛予算を削減しただけでも、その分を福祉予算の財源に当てられる。


もし日本の福祉制度が充実していたなら、国民は貯蓄することはなく、老後は安心して暮らせるだろう。誰もが将来の生活の不安があるから、貯蓄するのだ。人のことだと思っていた老後も、身近なものになりつつたる。自らの選択と決断により、左右される人生。悔いないものになればと、願うばかりだ。