働き者の親のもとで、生まれ育ったが、私に
とって、家庭は必ずしも平安の場ではなかった。仕事の疲れもあったのか、両親は家では
よくイラついていたし、些細なことでケンカを
していたから、幼い頃から、私は人の顔色を
伺い、自らの感情を抑圧する環境に置かれていた。暴力は日常茶飯事。決して暖かい家庭では
なかった。だから私は本の世界に逃げた。
そこに描かれた世界を空想することで、現実の辛さが癒されていたからだ、そしていつしか自分でも何かを書くようになったが、唯一それでしか自らの心を表現することが出来なかった。
人には容易には、心を開けなかったので、友達が出来なかったからだ。
新聞の新刊案内を見る度に、いつか物書きになって、こんな広告が出せたなら良いなと願うに
至ったが、どうすればそれが叶うのかは、全く
わからなかった。他の人と同じことをするのが
とにかく嫌いだったし、団体行動が苦手だったので、よく苛められたから、何度も人間不信に
陥り、この世をはかなんだものだが、それでも
物書きになりたいという希望だけは、捨てられなかったが、それを実現するには、とても長い
時が必要だった。生活のためには、常に望まぬ
仕事をせざるを得なかったのだ。
そんな生き方は自分を偽っているようで、本当は嫌だったし、官庁での仕事は短期間のものが
多かったので、民間企業に面接に行っても、
私が住む町は、中小零細企業が大半なので、
私が大学を卒業した頃は、高学歴の者を採用
したがらない企業が多くて、自ら願ったことではなく、学校推薦で働きつつ、大学に通い、
幼児教育者の資格を取得しても、なかなかそれを生かす仕事を得られなかった故に、何のためにそんは苦労をしてまで、大学に行ったのか。
しかも私が求めて、進学したわけでもないのにと、悔しい思いだった。
今思い返してみれば、どんなに親などに反対
されても、自分が望む道に進めば良かった。
そうすればこんな思いをせずに済んだかも
しれない。結局自分の人生に起きたことは、
自分で責任を取る必要があり、本来なら、自らで道を選択し、その結果がどうあれ、自分で
責任を取るという人としては、当たり前なことが、親というドリームキラーに阻まれたのである。だから今は自らが望み続けたことが、仕事になった幸いを感じている。聖書には希望は
失望に終わらないという言葉がある。希望は
すぐには叶わないし、人生は時に自らの思いを
越えた方向に導かれることがあるが、希望さえ
捨てなければ、そしてそれが本物であれば、
時を越えて、叶えられることを、この事実は
証明しているように思える。私は拘りが強く、
夢を諦めなかった。そしてついに好きなことが
仕事になったのだ。こんな嬉しいことはない。
だから私は言いたい。どんな時にも、希望だけは失わないでほしいと。それがその人の人生や
世の中を変える動機になる。かの有能なキング
牧師だって、世界のロックシーンを変えた
イギリスが誇るビートルズだって、希望や夢が
あったから、偉業を成し遂げたのだ。それが
叶うまでには、ビートルズはハンブルクでは
映画館のスクリーンの裏の狭い部屋に、四人の
少年たちが寝泊まりし、1日8時間も演奏していたし、ハンブルクは当日治安も悪く、ライブ
会場だったクラブでは、観客同士が頻繁に
ケンカをしていたらしいし、その後にイギリスに戻り、初めて受けたあるレコード会社の
オーディションには落ちている。また結成当時から、ドラマーとして活躍していたリバプールで経営されていたクラブのオーナーを母を持つ
ピート ベストは、EMIのオーディションに、
彼等が合格した際に、ドラミングのテクニックが悪いということで、リンゴ スターにドラムが後退されて、ビートルズから強制的に脱退
されられている。このように成功の影には、
多くの苦労もあったのだ。けれども彼等は世界一のロックバンドになりたいという希望が、
あればこそ、私はそれを糧に、彼等が努力を
続けた結果そのデビューから、数年もたたずして、アメリカのエド サリヴァンショーに、
出演し、彼等が出演した時には、大きな視聴率が出たらしい。こうして彼等は世界的なバントとして、成長したのである。彼等が常に希望を
捨てなかったからであろう。
本当に希望は生きる支えであり、これからも、
それを糧に生きていきたいと思っている。