中学の頃からの大のビートルズフリーク。
それがきっかけで、イギリスに興味を抱いた。
彼等の偉大さは普通の庶民の子供たちが、特に
音楽教育を受けていないにも関わらず、その
努力と才能で、のしあがったことだ。彼等は誰も譜面が読めないが、特にレノン、マッカートニーは十代の頃から、作詞、作曲を始めている。リバプールというイギリスの港町の
貧しい労働者階級の生まれ育ちで、この二人は日本でいう中学位しか出ていないし、ドラマーのリンゴに至っては、幼少期から身体が弱くて、サナトリウムのような所に入り、そこでドラムとの出会いがあり、その後の人生が、方向
付けられた。またバスの運転士を父に持つジョージは、一時期は見るからに不良少年という感じだったが、親に買い与えられたギターを弾き続け、彼等の曲で有名なリバプールの
ペニーレイン経由のバスの中で、ジョンにその
腕前を披露して、正式にビートルズのメンバーになった。
彼等が素晴らしいと思うのは、最初から全国的に知名度があったわけではなく、地元のクラブ
などでの演奏に始まり、時にはパンすら買えないほどの貧しさを経験し、ドイツのハンブルクにおいては、映画館のスクリーンの真裏狭い部屋に、4人で寝泊まりしながら、1日8時間も
ライブを行っていた。しかも彼等が演奏していた店ては、よく客同志でケンカが起きていた。
それらの店はハンブルクでも、治安が良くないエリアにあり、ティーンエイジャーだった彼等は、大いに刺激を受け、様々ないたずらをして、国外退去になり、リバプールに戻った。
そして彼等のマネージャーとなるブライアン
エプスタインが経営するNEMSというレコード店を訪れたある客が、彼等がバックで演奏していたマイボニーというレコードはないかと問われて、それを探して、何とか見つかり、彼等に興味を抱いたエプスタインがキャバーンに赴き、彼等のライブを見たことがきっかけで、マネージャーとなり、黒の革ジャンスタイルだった彼等を仕立て屋に連れて行き、スーツをあつらえさせた。こうして彼等はエプスタインが
当時のイギリスにあったEMIのオーディションを受けさせて、プロデューサーのジョージ マーティンに気に入られ、メジャーデビューを果たした。
そして自らで曲を作り、演奏するスタイルを
確立し、次々に発表する曲がヒットチャートに入り、アメリカのエドサリバンショーに出演。
これがイギリスのバンドがアメリカに進出するきっかけになった。だがライブにおいては、オーディエンスは彼等の演奏を聴くのではなく、そのルックス見たさに、会場を訪れていたに過ぎず、音響装置もお粗末なもので、日本公演では彼等は自分たちが演奏する音が、聞こえなかったらしい。それでリンゴは他のメンバーの動きに合わせて、ドラムを叩いていたようだ。
そんなサーカスみたいなライブはやりたくないと初めて告げたジョージを筆頭に、次々とそれを止めたいという者が続出し、彼等はレコーディングに専念するようになるが、彼等の仲が悪くなり、エプスタイン亡き後の混迷していた時期に、ミックジャガーに勧められて、採用したアランクラインが、法外なマネージメント料を
請求していた。実は彼等の曲を管理していたノーザンソングズは、ジョンとポールには、
余り印税を支払っていなかったようだし、彼等が始めたアップルというレコード会社は、経営難に陥り、それに関連したショップも赤字で
閉店し、彼等にとり、まさにどん底状態に
陥ったが、そんな時期にポールがあの名曲Let it beを作った。
ある日夢の中に彼が14才の時に亡くなった母親が現れて、Let it beと囁いたという。その言葉が脳裏から離れなかった彼は、その言葉をモチーフに曲を作った。私は今でもこの曲を聴く度に
勇気が与えられる。出だしの私がトラブルに巻き込まれた時に、マザーメアリーが現れて、Let it beと囁くという歌詞が何よりも良い。
彼の曲にはもう1つ母親をモチーフにしたYesterdayがあるが、このLet it beは、何とかグループを存在させたいと、小さなホールあたりから、もう一度演奏活動をしようと、提案していた彼に対して、他の3人のメンバーは、ビートルズから脱退すると告げて、確執が起きる。また先のアランクレインの問題も、そこに影を
落としていた。そんな時期に彼はその曲を、
書いたのである。因みにLet it beとはなすが
ままとか、なるようになるという意味だ。
彼はトラブル続きで、苦しんでいたその時期に、自らを慰めるために、その曲を書いたのかもしれないが、歌詞の内容は時代を越えて、
現在でも通用すると思う
人生は良いことばかりではなく、時には思いがけない試練に見舞われるものだ。そんな時に
心の支えになる何かがあれば、それを克服し、再起出来るものである。私にとって、彼等の
曲は時に励ましと力が与えられるものだ。
この曲のタイトルがつけられた彼等のレコーディング風景と葛藤などを描いた映画は、世界中でヒットしたが、これ程バンドの解散へと続く
彼等の真実を、描いた映画はなく、そこには
有名になった者にしかわからない苦悩もあったことが伺える。
私は辛い時には、このLet it beを聴き、その当時の彼等に思いを馳せている。実際にバンドが解散した後に、レノン、マッカートニーはかなり落ち込み、精神状態も悪くなり曲が、作れず、大量の酒を飲んでいた時期もあったらしいし、十代の頃に出会い、共に母親を失った少年たちは、曲を作ることで、自らのアイディンティティを、見出したのだろう。何よりも強い絆で結ばれた彼等が、奇しくも離れて行く姿は、切ない。現にジョンはoh me Loveという
曲で、ポールと出会い、友情を感じてた頃を、懐かしみ、彼から去った孤独を表現しているし、ポールも日本人と結婚して、自分から離れたジョンへの思いを、Dear Friendという曲で
表現している。そのような心模様が現れている彼等の曲は、同じ港町の労働者の子供として、生まれ育った私には、とても共感出来る。
だからファンは止められないのかもしれない。