人生とは予想がつかないものである。特に細かな人生設計をたてずに、生きてきたら尚更のこと。私はこの世がままならないことを、幼くして知っていた。経済的に安定した暮らしを求め、貧困の惨めさを体験し続けてきた戦中派の両親。戦後生まれで、民主教育を受け、男女は
平等であるべきだと、教わった私とでは、当然価値観は異なる。まして同じ労働者と言えども、民間で働いた者と官庁でも仕事をした経験があり、最後は半官半民の会社で、勤務して、
いかに国により、守られていた企業か、民営化が難しいことかを知らされて、そこでも非正規として差別されたまま、会社員人生を終えて、
若い頃からの屈辱感が残ったままで、起業し、
常に不安定雇用の中で、生活のために自己犠牲と抑圧を強いられて、人間性を踏みにじられて、生きてきた私は、会社がいかに労働者の人権を軽視し、その尊厳を無視してきたかを思い、いつもその矛盾や社会的な不合理と戦い、
ついに会社を辞めて、自分らしく働くべく、
起業。会社という後ろ楯は失われたものの、
労働者として、初めて何ものにも従属しない
自由な働き方を手にした。しかしそれがまた
社会的な偏見との戦いになろうとは、思っては
いなかった。
私が住む町は北海道の田舎で、港町。よそ者を
排除したがる流れ者たちが作った町だ。だから
他の人と変わってる者や障害者に対する差別は
あり、私が自らでフリーに働き出した時には、
この人は何をしているのかと、怪しまれた。
とにかく火のない所に、煙を立てる人々が、多く住む保守的な町である。経済的な理由から、無店舗で経営せざるを得ず、資本力がない
私は、元から大勢の者と関わることが苦手で
誰に対しても、器用には付き合えない性格故に、誤解されやすく、特に物書きであるが、手作りをコンセプトに少ない予算での自費出版で、本を作り、出版社を通さずに、それを基本的には、私が直接販売しているので、宣伝も大々的にはやれず、仕事上のイベントを企画する際には、コストの関係から、その告知は一部地域に限定される。子供の頃から、人と同じことをするのが、何よりも嫌いで、団体行動は特に苦手で、自己顕示欲も強かったので、他よりも目立ってはいたが、起業したら、いかに他と差別化を図り、さらに自己アピールしないと、生き残れないかを思い知らされたけれど、それまでの会社員人生においては、常に上層部や会社を支える大半の非正規を、愚弄していた管理職からの理不尽な扱いに耐えつつ、それに対抗してきたから、そんな激しい職場環境を離れても、長い間の肉体労働で養われたものからは、逸脱出来ず、営業は未経験に近く、人によりその姿勢を変えられずに、苦悩した。しかしセオリー通りに働くのが嫌いな私は業務内容の全てを、自らで決めて、取引先や顧客も自由に選択出来る働き方になり、改めて自分らしく仕事が出来る自由を、痛感している。売上が不安定ではあるものの、苦節数十年の末に、子供の時から抱いていた物書きに、なりたいという夢が叶えられ、厳しいけれども、好きなことを仕事に出来た喜びを、痛感している。どんなにこの時を、待ち続けてきたことか?心ならずも進んだ大学。親のエゴにより、阻まれた進路。新しいことにトライしようとする度に、反対され続け、低賃金の会社で、仕事をせざるを得なかったにも関わらず、その苦悩すら知ってか否か、さほど稼げなかった私を揶揄していた父。本当にドリームキラーに囲まれて、どれほど人格や人権が阻害されてきたか。親との死別で、私の人生は激変。無鉄砲かも知れないが、ビジネスの世界で悪戦苦闘し、会社とは異なる働き方に、時々戸惑っている。
それは何もない所から、何かを生み出す仕事で それが必ずしも、人に受けるとは限らないからである。一種の賭けみたいな感じだ。商品を 作り、それを宣伝しても、売れるとは限らず、
想定外の事態は生じる。様々な状況を想定し、
あらかじめその対策を考慮するが、予測がつかないアクシデントは起こる。これがフリーで働く意味なのだろう。フリーとは自由であるが、
経済的に何ら保証がないことも意味する。
真っ白な紙に、自らで地図を描くような働き方が起業であり、どんな地図を描くのかは、その
事業者の性格、思想、価値観、そして何よりも
ライフスタイルにより、左右されるようだ。
本当に仕事を通じて、自らが試されていると、
痛感するが、私の商品が認知され、それが興味を持たれて、気に入られて、その販売が成功すると、日頃の苦労が報われるようで、とても
嬉しいし、そんなお客様には、感謝しかない。
どんな状況に陥っても、ビジネスを継続出来るのは、営業を通じたこうした人とのふれあいが あるからだろう。そこには私がずっと追い求めていた人間らしさがある。私自身を表現しなければ、ビジネス展開出来ない現実があるのだ。
ビジネスの奥深さや面白さはここにあるから
いかに苦しくも、個人事業者は仕事を続けるのであろう。それは守るべき従業員の生活を保証するためにも、大事なことなのかも知れない。
本当に経営は難しい。だがパズルのピースが
上手くはまるように、提供する商品が顧客の ニーズに合い、需要があって、それが売上に
なって還元される瞬間があるから、商いという
言葉の如く、ビジネスは辞められないのだろう。その真髄が少しずつ経験を通じて、見えてきたところでもある。利益を得るために、いかにテクニックを駆使しようとも、そこに心が伴ってこその商いである。その本質を追及して、
仕事上の目標を達成するために、トライとエラーを繰り返して、道を探している。自らの提供する物と顧客のニーズが合致し、それが社会的な需要に応えうるならば、必死に売り込まずとも、その物は売れるのである。起業して6年目に突入するが、ようやくその真理が見つかった
ばかりである。今後のビジネス展開に沆御期待と言いたいところだが、果たしてどうなるのか。それは神のみぞ知るである。