まだ若かった頃に、縁あって現在所属している

教会に出会った。家族が次々に試みに会い、

何をしても、解決策が見つからすに苦悩してた。人一倍世間体を気にする両親だったから、

それがどんなに辛くても、家族以外の人々には

話せなかったが、実は苦しい現実を受け入れる

ことが出来なかったのだ。


幼い時から、病弱で友達もいなかった私は、いつも誰かに思いを伝えたかったけれど、そんな人は簡単には見つからない。教会の門を叩いたのも、当時置かれていた苦しみ故で、何らかの

助けを求めていたからでもあった。

両親は跡継ぎではなかったし、彼等が現在私が住んでる町の出身ではなくて、故郷を離れて、

この町に移り住んだ人々だったので、我が家には、祖父母はいなかったし、彼等は頻繁には故郷の町には戻らなかったので、私たちが、双方の実家に赴き、祖父母に会う機会も極めて少なかったから、老人との接点はないに等しく、

教会に通い始めて、そこに属する信徒の大半が、老人だったことに驚き、老いていくことの

意味すら知らなくて、不遜にも彼等との関わりが面倒にも、思われた。


彼等はよく昔のことを語っていた。個人的に

会えば、生まれ育った故郷のことや戦時中の

出来事なとを、聞かせてくれたものだ。

ことに多くの老信徒たちは、当時としては、

女学校卒業で、いわゆる高学歴。中には、

日本の傀儡国家であった旧満州に住んでいて、

万鉄でタイピストとして、働いていた者までいた。満州においては、エリートだった彼女は、

常に現地の人々が、メイドや執事として働き、

彼女の生活におけるお世話をしていたらしく、

何故そんな裕福な暮らしが、出来ていたのかは

彼女は知らない様子だった。日本の政策として、開拓団として、現地に移住した人々の生活は苦しかったようだが、万鉄の職員は高級取りで、彼女の話から推測すると、メイドや執事が

いた豪邸に住み、優雅な暮らしをしていたので

あろうが、彼女の世話をしていた現地人は、

母国語で話すことは禁じられ、習慣や宗教までも、日本化を強要されていたし、国も日本の

支配下にあったので、そうしてでも生きて

いかなければならなかったのだろう。

敵国の人間のもとで働くことが、いかに彼等には屈辱的だったかは、想像に堅くない。

こうして日本は韓国や中国などを侵略し、王族

すらも支配下に置いていたのだが、敗戦と共に

半日感情が強かった占領国からの反撃に合い、

命からがら、日本に引き揚げて来たらしい。


彼女は日本に帰ってからも、万鉄時代に紹介

された男性と結婚し、農業が盛んな町の旧家に

嫁いで、学校て教師として勤めながら、姑らに

仕えていたようだが、老人性の病いで、ご主人が天に召されてからは、体調を崩して、教会にも余り来なくなったから、家も近かったこともあり、時々私が彼女の家を訪れては、様子を

伺っていた。孫と暮らしていたけれど、その

孫は働いていたので、ほとんど一人で過ごしていた彼女は、私が訪れる度に、中に招き入れて

下さり、その満州時代の人生における豊かな

暮らしぶりについて、語り始めたものだ。


何度も聞かせられた彼女の過去。もし戦争が

なければ、そんな暮らしが続き、その後の

貧しさすら経験することはなかったのかもしれず、彼女は通り過ぎた過去を愛しんでいて、

出来ることなら、貧しさから抜け出して、再び

そんな人生を取り戻したいのだろうと、想像

しながら、彼女の話を聞いていた。


老人は常に過去を語る。私もまだ若かったので、同じような彼等の昔話を聞くことには、

辟易していたものだが、今思えば、古い教会における貴重なエピソードだったり、私たちが、

住む町の埋もれた庶民の暮らしや歴史であったりもして、つくづくそれらを記録していなかったことを、後に後悔した。そしてまさか私も

年を重ねる毎に、過ぎ去りし過去を懐かしむ

ように至った。私の過去は彼女らのように、華やかでも豊かですらなく、本当に苦難の連続

だったから、出来れば戻りたくはないし、いつも家族の誰かが泣いていた記憶ばかりだ。

そして何度か恋愛も経験したけれど、そのいずらもが悲恋て、それが報われたことはない。

だから懐かしそうに過去を語る彼等の姿に、

嫌悪感を抱いたのかも知れず、その華やかな

過去を持つ彼等に嫉妬していた。

私には生活のために、額に汗して働く親がいて、一緒に遊んだこともなく、貧しさ故に、

雛人形すら飾ったこともなく、クリスマスは

父がどこかから、松の木を調達して、安い

オーナメントを家族で飾ったけれど、ケーキは

買えなかった。また学校の授業参観の日には、

時々母が仕事を休んで、学校に来たが、肉体

労働をしていたので、さほど化粧もせずに、他の父兄と比べても、決して素晴らしい身なりを

していたわけでもなかった。それが子供心に、

恥ずかしかった。職業には貴賤がなく、どの

仕事でも尊いことを知ったのは、自分が働き

始めてからだったのだ。


そんな両親も十数年前に、相次いで他界し、今は1人で、実家を守っている。数年前に会社を

辞めてからは、自由にフリーとして働くいわゆる個人事業者になった。しかしある知人の指摘の如く、私は過去を捨てられない。それが、

変えられないことを知りつつもである。

もし昔付き合っていた人が、元気だったなら、

結婚して、普通に家庭を築くことが出来ていた

かもしれず、女性が働くことを嫌っていた彼が

働いて、生活を支えて、私は苦労して稼ぐこともなかっただろうという妄想が、脳裏をよぎる。しかし人生には、予想外のことは起きるし、思いがけない道に導かれることもある。


やはり私は仕事が好きで、女も経済的に自立

すべきだと、考えていたし、学生時代に、仕事で生きること、男性に負けない位の経済力を、

持つことを誓って、それを守り続けて生きてきたから、今さら生き方を変えることも出来ないのが、実情である。戻らない過去。そして現在を大きく左右している過去の生き様。それから 逸脱し、新しい人生を築くには、心の大掃除を

して、多くの執着とか不必要なものを、断捨離することが大事なのだが、なかなか物を捨てられない性格なので、それすらもすっきりとは

いかない昨今である。少しずつそれらを捨てて、心に余白を作り、新たな情報などを取り入れて、ビジネス展開していくことが、職業婦人としての生き方を優先した私の当面の目標でも

ある。