昔から、何かを失うことを恐れていた。

それは一度失えば、二度と手に入れることが

出来ないと、思い込んでいたからだ。長いこと

生きていれば、いくつかの出会いもあったが

それに勝る別れもあり、年を重ねると、その

別れも多くなる。特に私の場合には、両親の

死後知人などが次々に亡くなり、葬儀への

参列が続いた。私自身は未だに親との死別を

克服出来ていないので、そんな葬儀に参列

する度に、遺族へのお悔やみの言葉が出て

こないことも多かった。どんな言葉をかけても、肉親を失う悲しみが、簡単に癒されるとは

思わないからだ。


若い頃に知り合い、30数年の付き合いの友人が いる。その人は一度結婚したが、様々な事情で、20数年前に離婚し、数年前には父親を病いで、失った。私が苦境に立たされた時には、いつも助けてくれたかけがえのない友人である。

しかしその友が胃カメラの検査により、ガンが

見つかり、おまけにその後大腸にポリープが 

あることが判明した。元々慢性的な糖尿病でもあり、血糖値が不安定だったので、それを安定

させるための治療が行われ、ある程度それが

下がったので、大腸のポリープの摘出手術を

行い、それは成功した。問題はガンである。


その人から初めてガンに陥ったことを知らされた瞬間は、余りにも衝撃的で、しばらくはその 事実は信じ難かった。私は両親をいずれもガンで失っている。早期発見の場合なら、助かって

延命する確率は高くなったが、それでも死因の

トップはガンである。故によからぬ妄想が心を かき乱した。それは糖尿病の治療と各種検査

故に入院が遅れたその友のガンが進行し、ガン

細胞が転移して、手の施しようがないという 最悪のシナリオである。そこに亡き両親の姿が

重なった。


私はなかなか友達が出来ない性格だし、昨年元の恋人が、ある老健施設で逝去したのだが、

その事実を受け入れられずにいる、それ故に

その友も最悪の場合には、死に至るのではないかという妄想である。次々に人生にとって、

大切な人々を失ったので、その友だけはガンを

克服して、生き延びて欲しいと切に思った。

心から死んで欲しくはない。諸事情があり、

その人が入院している病院に赴き、見舞うことも出来ないのである。だからそれが心に痛い。

出来ることなら、その友に直接会って、現状を

この目て確かめたいけれど、それが出来ないのが、何よりも辛いのである。私たちは共に

クリスチャンで、神を信じているから、その

み心があれば、神がその友の命を救って下さると思いたい。今はとにかく治療が効を奏して、その友が回復して欲しいと、祈るような気持ちで、日々を過ごしている。

最近の痛かったこと

 

 

 

 

 

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