かつて短期間だったが、税務署でアルバイトをしていたことがある。確定申告の時期で、その
申告用紙の処理をしていた。そこでは様々な
人間模様を見ることが出来た。特に還付申告を
する部署にいた時は、納税していたか否かで、
扱いが違う現実を、見せられたものだ。
例えば多額の納税者が、何らかの用事で、そこに来庁した際には、普通にお茶を出すが、時には税を滞納し続けており、職員により、呼び出された者に対しては、お茶を出さないどころか、何か事件を起こして、その容疑者として、勾留された者が取り調べを受けるように、
職員が威圧的な態度で、その滞納者を、激しく
責め立てたり、電話により、そんな人々を
怒号する光景は、日常茶飯事だった。また
差し押さえされた者に対しても、容赦なく
いつ納税出来るのかと問い詰めている光景を
垣間見て、本当に権力を傘に、人を人とも
思わない非情で高慢な職員の姿勢に、怒りを
感じたものだ。
私は当初から、税制の不均衡を是正すべきであると、考えていて、それは高額所得者が、
税制上優遇されている実態を、この仕事を
通じて、知り得たからでもある。来庁者に
対しても、税務署にとり、都合が良いかどうかで、お茶を出したり、そうしないばかりか、立場か異なる人には、その種類まで変えるという徹底ぶりで、そこには貧しき者に対する並々ならぬ差別がみなぎっていた。昔の悪代官の
ように、お金がなくて、日々の暮らしにも
事欠く者からも、税を絞り取り、大企業
特に輸出産業系の企業には、消費税を還付
している現状があり、それらの企業は多くの
内部留保があるのだ。何故そんな企業から、
多額の税を徴収しないのかと、思った。
特に私は、そこでは常に確定申告の時期に
雇われていて、例え1円でもその申告用紙に、
記載ミスがあれば、修正申告をしなければ
ならないという現状かあることを、熟知して いたから、昨今マスコミを賑わしている裏金
問題は、厳密に言えば、脱税に当たるのでは ないかと、考えられる。政治家には、多くの
特典や恩恵があるが、国民には納税を強いて
おきながら、政治家自身は、資金集めのために
販売するパーティー券の余剰分が、キックバックされて、その懐を肥やし、各種委員会に
おいても、その言い逃ればかりを繰り返す
様子に、辟易している。普通は政党交付金により、政治活動を行い、その支給された範囲で、
やりくりするものだろうし、公設秘書の他に、
私設秘書を雇い、選挙のために、地元の後援会活動に経費がかかるから、政治には多額の資金が必要となるという論理が、まかり通って
いるが、秘書を増やさず、地域の後援会活動においても、ボランティアを雇い、手弁当で活動して頂くとか、会場費が安い地域の住民
センターのような公的な施設を借りて、政治
報告会を開催するなど、いくらでもコストを 削減した政治活動は出来る。
それに大企業からの政治献金を廃止すれば、
そことの接点はなくなり、税制についても、
抜本的に改革するための審議も、行われるかも知れないが、長い間大企業との癒着が続き、
肝心の財務省も、緊縮財政を維持し、国内に
おける貨幣の循環が滞る政策を続ける限り、
景気は戻らないし、民間とは、お金に対する
温度差がある永田町という伏魔殿では、子供が
小遣いが足りなくなれば、母親にそれをねだる
ように、大企業からの献金に依存する悪しき
体質から脱却出来ず、それにより政治腐敗が
継続されているので、その意識改革は難しいの
かもしれない。今更ながら、民主主義の基盤に
戻ろうと訴えたところで、数が物を言うのが、
悲しいかな政治の世界だ。けれども国の主は
国民であり、政治家は国民の代表なのだ。
それを忘れて、権力の上にあぐらをかく政治屋がいかに多いことか?そんな人々を選挙で
選んだ国民にも責任はある。故に政治に直接
関与し、その権利を行使し、誰が国民のための政治をするかを見定めて、自らの意志で投票し、そんな守銭奴みたいな政治家を選ばないことに尽きる。そうでなければ、政治は変わらないと痛感している。