人生の後半になると、若い頃には感じなかったり、見えなかったものが、見えてくる。若さに
任せて、無理をしたつけは、年を重ねてくると
出てくるようだ。特に女性はいつでも、若く
見られたいと望むので、年齢的にはおばさん
なのだが、私は今でも、おばさんと言われることには、抵抗がある。体力などの衰えを、
感じていながらだ。
社会的に成功することを夢見ていたが、聖書
にも、欲深いことは良くないという言葉が、
出てくる。極論かもしれないが、過剰なまでの人間の欲望が、ある意味でトラブルとか、紛争とか小さな対立などの要因になっているのでは
なかろうか。例えば現在マスコミを賑らす
イスラエルによるハマスに対する攻撃である。
確かにハマスは、テロ集団かもしれないが、
何故そんな集団が生まれるのかを、考えれば
そこには経済格差の問題があると、思える。
ニユーヨークのスラム街から、ギャング等が
生まれ、日本においては、戦後の焼け跡で、
世の中が荒廃していた時代に、愚連隊が出来たように、暴力集団が誕生する背景には、貧困が
あるようだ。それを解決する必要があるだろうし、イスラエル問題については、歴史的な観点から、考察しないと、問題の本質は見えては
来ないが、私がおかしいと思うのは、ユダヤ教には、十戒があり、その中には汝殺すなかれという言葉もある。またそれ以外にも、細かい
戒律があって、今でもユダヤ人たちは、それを
厳守しているにも関わらず、聖地であるエルサレムを、幾度も攻撃したり、全く罪のない多くのパレスチナの民衆を、殺戮していることだ。これは明らかに、十戒に背く愚行である。
イスラエルの特に政府や軍府は、最も尊い
人命を粗末にしているのだ。これは彼等が
信じる神が、お許しになるはずがない。
イエスの弟子であったペテロのお墓の上に
建てられた聖ピエトロ大聖堂には、かの有名なミケランジェロの最後の審判という大壁画が、飾られているが、この世で悪を行う者は、死んだ時に、神から審判を受けて、地獄に突き落とされる光景も、描かれている。戦後建国された
イスラエルは、世界で承認されているので、与えられた領地を守り、それを拡大せず、何らかの政治手腕で、パレスチナ人と共存する方法を探れば、宗教は異なるが、元来同じ旧訳聖書の教えから、派生した宗教を信仰するお国柄なのだから、何とか和解の道も、あるのではないかと、思える。
このような政治的な側面だけではなくても、
現代は人の心を軽視する風潮が多い気がする。
SNSによるヘイト及び誹謗中傷が、その典型で
ある。これこそ人への尊厳に欠けた非人間的な
罪である。いくらAlの進歩で、産業界に革命が
起きても、それは決して人の心の代わりには
ならない。心ない言動が巷に溢れているご時世
だから、憲法で守られている人権を尊重する
ことが、何よりも大事だと痛感する昨今である