私が住む北海道で生きる人々は、昔から

よく働いた。四季を問わず、生きるためには

例え寒風が吹きすさぶ時ても、浜に暮らす

漁師やその妻または広い大地を、耕して、

野菜などの苗を植えて、まるで子供を育てる

ように、慈しみつつ、それらを作る農家など。

厳しい仕事だけれども、それに命を駆けた

人々が北海道の経済、食糧を支えてきた。

しかし社会的には、そんな肉体労働者は、差別の対象だった時代があり、若い頃から、家が

貧くて、高等教育を受けられなかった故に、

仕事の世界では認められていても、それ以外

では見くびられたり、蔑まされることも多かった父は、時に左翼思想に傾倒したり、組合活動等の政治運動に関わっていた。


私は父がガンになるまで、何もしない光景を、

見たことがない。とにかく典型的なワーカ

ホリックで、何よりも仕事を大事にしていた。

それなりの収入はあったが、それと引き換えに

長いこと会社における名誉欲のある上司との

確執や利益優先のための理不尽で、過酷な

労働環境に、耐え続けてきた。それは時には 辛かったはずなのに、家では弱音を吐いた

ことはなく、私たち家族にも、厳しかった。


そんな頑固な性格は、ガンに陥っても変わる

ことはなく、症状が悪化すれば、痛みが生ずるようだが、共に暮らしていた私の前では、

決してそれを訴えなかった。ただ私が無事に

仕事をすることだけを、望んでいたらしい。

最後まで、子供の頃からの確執は残り、父から

受けた数々の暴言や暴力を許せなかった私は、

父とは和解出来ないままに、死別したが、今

思えば、現実を受け入れられない弱さを抱えつつ、人生を生き抜いた人はいない。どんなに

疲れていても、それを口に出さなかった強さは

もしかしたら子供の時の貧しさにより、育まれたものなのかも知れない。すでに他界して、

数十年になるが、そんな働き尽めだった父に、

心から、お疲れ様と声をかけたい。その魂の

平安を求める祈りと共に。

おつかれさまと言いたい人

 

 

 

 

 

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