多くの本が並ぶ書店。新刊が出たら、それには
とても目立つポップがつけられて、店長一押しなどのキャッチコピーがついた宣伝文を記した
ポスターが張られる書店。大規模な店から、
古書店に至るまで、本好きな私は、よく足繁く通っていた。そしていつしかこんな書店に、
自らの本が並べば良いと、願うようになった。
会社を早期退職し、初めて本を作った時には、
資金的な関係で、書店に置いてあるような
ハードカバーの本は作れず、薄い冊子みたいな
本になった。これをどうにかして、販売する
必要があったので、他との差別化を図るために、手作りというコンセプトを打ち出し、
自宅を店舗代わりにしている私は、その言葉を
宣伝のメインのキャッチコピーに使いことを
思い立ち、それ以来そのコピーによる認知を
得るために、主にSNS等で、宣伝しまくったが、今は誰もが情報発信をする時代だし、
出版界でも、売上の主流は、私が嫌いな
電子書籍で、それらのプロデューサーは、
経営者のブランディングには、いかに電子書籍が有効かを、強調して、集客している実態があり、私が関わったあるコミュニティでは、そのメンバーの大半が、そんなプロデューサーで、
中にはいかにしたら、電子書籍として出版した
本がアマゾンで入賞するかに、重点を置いた
コンサルをする者も多かった。
私は典型的なアナログ人間だから、電子書籍は
本とは思えず、未だに普通の紙の本に拘り、
出版社を通さずに、本作りをしているが、本の
流通においては、多くの出版社は、そこで
出版した本を取次店に卸して、それが全国の
書店に配本されるシステムになっており、
私のように、自費出版だと、なかなか大きな
書店には、本を置かせてもらえない現実がある。それ故発行した本の一部を、地元にある
老舗の書店に持ち込み、委託販売して頂き、
残りは私が、直販している。売る場所があれば、いろんなイベントに参加し、それを販売
していたが、この仕事を始めた当初は、全く
本が売れず、困惑したものだ。子供の頃から
抱いていた物書きにはなれたものの、それで
生活するのは、本当に大変で、副業をしないと
ならない状況に陥った。
また商業出版の流れを知りたくて、ある大手の
出版社から、資料を取り寄せたら、数回その
自費出版部門の編集者から、出版の打診があった。書いた原稿を、その出版社に送付すれば、
他の工程は、その出版社が行い、販売に関しても、全国の多くの書店に卸しているから、例え
1つの書店で、私の本が売れなかったとしても、帯や装丁を変えて、他の書店に配本することも可能であり、売れるようにすると、その
編集者には言われて、心が動いたが、発行
部数は、基本的に1000部からで、その他資金は
著者である私が負担し、それも私が本を制作するよりも、破格な費用が必要らしい。そこで
ネックとなったのは、資金力のなさで、もし
それがあれば、私は堂々と出版社を通した
本を作れたと思う。
実は嫌悪している電子書籍は、起業して、2年
後に、SNSで知り合った副業のコンサルタントの紹介で、出会った出版プロデューサーにより、一度だけ出版したことがある。不本意ではあったが、お試しという意味での制作だった。その出版プロデューサーは、確か30万程度支払いをすれば、本の出版だけでなく、販売までの導線を作り、そのフォローをすると言ったが、予算の関係で、出版だけの契約をした。すると自動的に、アマゾンの会員としての登録がなされたものの、そのプロデューサーがSNSで、宣伝した際には、いくつか売れたものの、それ以外はほとんど売れなかったし、他の出版社からは、アマゾンで本を出すと、普通の
一般の出版社からは、本を出しにくいと聞き、
返すがえすも、大手の出版を通した自費出版のチャンスはあったのに、資金不足で、それが
叶わなかったことを、とても後悔した。
本を出したからと言えども、それが必ずしも
売れて、ベストセラーになるわけでもなく、
本だけで生活出来ているのは、物書きのごく
一部で、その大半は副業を持ちつつ、執筆活動をしているのが、実態である。ベストセラーに
なる道は、険しくて、困惑であると実感するが、生涯をかけて、その夢が果たせたならと
願うものである。