子供の頃から、嘘をつくなと教えられた。
両親は、何よりも私が嘘をついたら、とても
叱ったものだ。正直が取り柄で生きてきた
からでもあろうか? 私が二十代で地元で最も
古い教会に通い始めて、聖書を学んでみると、
そこにも心を偽ることは、良くないという旨が
明記されている。特にエジプトで奴隷として、
苦しんでいたユダヤ人を、その地から脱出させ、神が与えたカナンに導く役割を与えられたモーゼは、ローマの統治下に置かれたユダヤ地方で、救い主が現れるという預言を聞き、もしそんな者が出現したら、自らの地位や権威が、
脅かされるのではないかと恐れたローマ帝国の王により、ユダヤ人の長子を殺害する命令が
下り、貧しいユダヤ人の奴隷の子供として、生まれたモーゼは、何とか生き延びて欲しいという母親の願いのもとに、かごに入れて、川に流したところ、子供がいなかったファラオの妹に拾われて、エジプトの王子として、育てられたにも関わらず、同胞であるユダヤ人を救うために、その身分から離れて、何度もファラオに、ユダヤ人の解放を求めた。
ある日おそらくシナイ山だと思うが、赤く燃えているのを見たモーゼは、その山に登り、神が板に記した十戒を賜る。その中にも、汝偽証することなかれという言葉がある。嘘をついてはいけないという意味だ。その戒律は当時のユダヤ人の心の支柱になっていただろう。昔から、
人は正直であることが、求められたのだ。
故に私は嘘つきが嫌いだった。
かつて交際していた人は、今思えば嘘が多かった。彼は離婚したのは、妻の不倫であり、彼女には、二度しか殴ったことはないと、語っていたが、彼等をよく知る者から聞いた話では、彼は日常的に、妻を殴っていたようだし、結婚の話も出て、私が所属している教会に、相談に、
訪れたものの、双方の家族からの祝福が必要だと言われたが、交際自体を反対されていたので、それは望めなかった。
またいつだったか、ある湖畔で車を止めた彼が、子供がいるから、結婚出来ないと宣い、何のために、私に接近したのかと、怒りを感じた。離婚により、家庭が崩壊し、結婚に対して、幻滅を抱いていた彼は、再婚を望んではいなかったのだ。彼がこれほどに嘘つきだったとは、付き合うまでは、気づかなかった。その
ようなことが重なり、彼に対する信頼を失い、その後はしばらく人間不信に、陥った。今でも
意図的に嘘をつかれるのは、許せない。それは
私に対する悪意が、その根底にあるからだ。
だからいかなる評価を受けようとも、私は
自分にも、他の人々にも、正直でありたいと、
思っている。