まだ私が若かった頃に、ある宗教団体で一人の
青年に出会った。彼は当時教師として、私が
住む町から、車で30分ほどの農業が盛んな
町に住んでいた。北海道のある港町の名士の
息子として育ち、都会志向が強かった彼は、
当時勤めていた田舎の学校には、馴染めて
いない様子で、生徒との向き合い方にも、
苦労していた。私たちはよく喫茶店に立ち寄り、たわいない話をしたものだが、繊細だった彼は人当たりは良いものの、誰にでも、心を
開けるタイプではなく、私のその点は同じ
だったので、親しくなった。
彼はクラシック音楽が好きであったから、
会う度に、その魅力を語っていた。それまで
クラシックは高尚な音楽だという偏見を、
抱いていた私は、次第に彼が熱く語っていた
クラシック音楽に魅了されて、自らでもそれを
聴くようになった。今でもそれが好きなのは、
紛れもなく、彼からの影響である。しかし
その町で、病いに陥った彼は、仕事が続けられなくなり、郷里である北海道のある港町に
帰り、それから数年は彼自身が卒業した学校で、教鞭を取っていたが、数年で退職し、市の
職員になった。ところがそれから十数年が
過ぎた時に、病院で胃カメラの検査をして、
ガンであることが判明して、おまけにその後
腸がポリープが見つかった。その摘出手術は、
内視鏡を使って、行われると知らされたが、
その手術当日は、朝から彼の状態が案じられて
ならなかった。
不安な面持ちでいたら、それから数日後に、彼から電話がかかってきて、先の腸のポリープの
手術が成功したこと。2日程度の入院で済んだ
ことが、伝えられた。原因は知らないが、彼は
慢性の糖尿病でもあったので、血糖値との
関わりで、状態が悪くならなければ良いのだかと、案じていた私は、その報告を聞き、これで
彼の命が長られたと安堵し、なによりも嬉しかった。
私が起業する際には、それで生活出来るのかと、心配してくれ、物が売れない時には、
私が住む町まで、3時間もかけて訪れて、品物を
購入してくれたりもした。私がピンチや苦境に
陥った際には、助けてくれた友人であり、
今私がある宗教の信徒でいられるのも、彼との
出会いが大きく影響している。大袈裟かも知れないが、彼が私の人生を変えたと言っても、過言ではない。それにとても人に対する気配りを
する性格なので、彼はあえて私には、病気についての詳細は連絡しなかったのである。私に
心配をかけまいとする彼なりの優しさからで
あろう。だからこれで一つでも、彼の身体を
蝕むものが、摘出されたことに、喜びを感じたのだ。その間ずっとその成功を祈り続けていたが、神がそれにこんな形で、応えて、そのみ業により、彼と手術に当たった医療関係者を、
良き方向に導いて下さったのだ。本来にありがたいと痛感した瞬間だった。