私が学生の頃は、女性運動家が生まれた時代で、次々に女性の権利と平等を求めて、活動していた女性が、戦っていた。男は外で働き、

女は家を守るという古くからの価値観を打破し、女性も社会進出して、自立すべきであり、

社会はそんな女性を認め、その権利を擁護せよと主張していたのだ。職業婦人だった母に、

育てられたので、女性が働くのは当然だと

思っていたし、どんなに家庭のために、男性

と同じように働き、家のことも完璧に行っても、男が偉いし、家長が家では絶対的な存在で、それに従わないと、暴力を振るわれていて、何らその努力すら、認められていなかった母を見て、私は結婚なんかするまい。仕事に

生きようと決意した。どんなに働いても、男女間には、賃金格差があり、男性よりも収入が

低い女性たちが、いかにその権利を侵害され、

人権を蹂躙されていることかと、怒りを感じていたので、そんな女性運動家に、感化されたのである。



結婚しないと決めた誓いを守り、今まで生きてきたが、本当は幼い時から、暖かい家庭に憧れていた。若い頃に同棲経験があり、誰かと共に暮らす安心感を、痛感したからでもある。学生時代の友人たちは、次々と結婚し、苦労もあれど、それを共にするパートナーがいると思うと、様々な事情で結婚出来なかったことが悔やまれた。もし私も結婚していたなら、そんなパートナーに恵まれていただろうと想像すると、

仕事では得られない心の空白と虚無感を抱いたものだ。特に年齢を重ねると、苦楽を共に出来る存在のいない孤独は募る。


いつも精一杯生きてきたつもりだけれど、仕事のために、得られなかったことや犠牲にしてきたことが、いかに多かったか。だから結婚して、普通に家庭がある人々が、とても羨ましい。それも自らの選択による結果で、自己責任であるが、常に孤独と向き合うのも辛いと思う今日この頃である。うらやましいこと

 

 

 

 

 

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